最近のバカマスコミは、表現力が足りないのか(ゆとり管理職の弊害か)、僅かな数の言葉だけで評論をしたがります(結論を出したがります)。または、風潮を追い風にする評論を得意としています。一言で言えば「偽善者」です。

 例えば、「暴力はいけない!」とか、もっともな事です。それは当然すぎて、小学生でも言える言葉です。

 では何が暴力(体罰)で、何が教育なのか? 頭を小突いたら暴力なのか? 胸ぐらを掴んだら暴力なのか? 言葉の暴力とは何なのか? 体罰とは何をいうのか? 無視するのは暴力なのか?

 その答えは無いのです。ケースバイケースなのです。

 私もその答えは持ち合わせていません。強いて言えば、陰湿的なものが暴力や体罰なのだと思います。

 何度でも書きますが、最近の薄っぺらなマスコミは、個人的なちょっとしたことでも揚げ足を取って、全国区の大ニュースに仕立て上げてしまいます。それを商売としています。それも「暴力は良くない」とか「体罰」とか、誰もが否定できない旗を振りかざしてです。

 しかし、そんな安易な論調が正義になってしまうと、「何もしないがよし」という風潮が日本中に蔓延してしまうのです。それは教育の放棄です。そして日本という国の滅亡です。

 我々はこれまでの人生の中で、親や先生、先輩方々に様々な指導をして貰って、ここまで成長してきました。その中には厳しい事や理不尽な事もあったと思います。しかし、その全てが暴力や体罰だったでしょうか?

 私は何も、教育において、少々の暴力や体罰が許されても良いなどとは、全く思っていません。それどころか反対です。しかし、「何が暴力で、何が体罰なのか?」と言うことが大切なのです。それは少々の文章(論評)で表現できるものではないと言うことです。

 強いて言えば、「陰湿さ」がキーワードに成ると思います。

 文字で論表したり、人のやったことを否定したり、クレーム付けたり、そういうことをするのは簡単です。本当に大変でそして尊敬すべきは、実際に行動をしている人たちです。その人達も人間ですから、わずかな間違った行為を行うこともあるかもしれません。しかし、それ以外の、ほとんどを占める貴重な行為(教育、指導)を消し去っては、または無かったことにしてはいけないのです。

 我々世代は教育をする義務をもっています。だから、教育を放棄してはいけないのです。

 

 私は100%人間です。未完成な人間なのです。だから全ての行動に完璧な自信を持っているわけではありませんし、その結果が完璧なものであるとは言えません。間違いをおかしてしまうこともあるかもしれません。迷いながら生きているような、能力も無い弱い人間です。

 だからといって、「何もしない」わけにはいかないのです。それが一番卑怯者だからです。人を評価する人は偽善者です(その人が、評価できるような特別に立派な人間なのですか?)。逆に、どんなに小さくて目に見えないことであっても、実際に「行動」をしている人は、尊敬にあたいします。日本の宝です。

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