テレビのニュース番組で、「最近は左利きを矯正しないまま、文字を左手で書く子どもが増えた」と言っていました。

 最近の若い親は、「左利きのままで何が悪い?」とか、「私の子どもの自由でしょう」とか思っているのでしょう。矯正される事を、まるで自分の子どもの人格が否定されたとでも勘違いして、それに屈するのは自分の負けだと思っているのかも知れません。

 ところが、左利き先輩の私が言い切ります。「効率のよい部分での右利き矯正は、自分の得になる」と。

 例えば、文字は右利きに有利に出来ています。それを左手で一生書き続けるのは、損でしかないのです。

 事実、私も小学一年生の4月の事をはっきりと思えています。黒板に文字を左手で書いたら、ある一人の先生からこっぴどく叱られたのです。小さかった私は恐怖さえ感じました(泣きながら黒板に右手で書いたかも)。そして、嫌々ながら右手で文字を書く事を始めたのです。

 同じく、箸も右手に矯正しました(されました?)。ところが、今になって思えば、矯正する苦労なんて僅か半年間だけの苦労です。今となっては、その叱ってくださった先生に感謝しています。

 しかし、それ以外のものは、左手でのままでした。例えば、絵を描くのは左。図形も左。スプーンを持つのは左、ボールを上から投げるのは左。なぜか下投げは右。ボールを蹴るのはなぜか右。ナイフは左、ハサミは嫌でも右。等々。

 このように、ほんの一時の矯正の苦労だけで、「両利き」になれるのです。これが「得」でなくて、なんなのでしょうか?両利きの方が器用になれるはずですよ。うまくいけば(私の場合にはダメでしたが)、両脳が発達して、頭も良くなるかもしれませんよ。

 「矯正」は、強制でも負けでもないのです。

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