マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:ヴァイオリン製作者になるには、中学を出て直ぐの方が良いのですか?

:おそらく、宮崎駿アニメの「耳をすませば」の影響だと思いますが、このような質問をたくさん受けます。ちなみにこのアニメには、「中学卒業を目前とした男子生徒が、自分の意志をしっかりと持ち、卒業と同時にヴァイオリン製作者を目指してクレモナに旅立つ」という内容が含まれています。アニメとしてはとても良いものだとおもいます。しかし、現実の「ヴァイオリン製作」という立場に立つと、話は別ですので注意してください。

昔の職人教育と開始年齢
 おそらく、「職人」という言葉から、皆さんは「気むずかしい」とか「職人気質」などという言葉を思い浮かべることでしょう。そしてもう一つ無意識のうちに、「丁稚奉公」という事もイメージすると思います。すなわち職人として技を身につけるためには、子供の内から弟子として辛い修行をしなければなければならないというものです。確かに昔の職人教育では、子供の頃から「丁稚奉公」として働きに出て、職人としての技を身につけました。今回の質問の「中学を出て直ぐの方が良いのですか?」という内容も、宮崎アニメ「耳をすませば」だけの影響だけではなく、どちらかといえばこちらの影響の方が大きいのかもしれません。というよりも、アニメ「耳をすませば」の原作を考えるときに、この様な先入観が働いて前記のようなストーリーになったのでしょう。
 さて、なぜ昔の職人教育では子供の頃から「丁稚奉公」に付かせたのでしょうか?多くの方は、例えばヴァイオリニストが3才の頃から英才教育を始めるように、子供の頃から技術を身体に叩き込ませるためと理解してているようですが、これは間違いです。それには当時の一般教育制度の問題が関わってきているのです。すなわち技術教育だけの話ではないのです。
 現代と違って昔は、義務教育はここまで発達していませんでした。従って子供を丁稚奉公として預けることによって、「一般教養」を身につけさせたのです。もちろん実技の基礎なども少しは教えたかもしれませんが、一番重要な内容は「人間としての一般教養」を教えることでした。専門の技術は、その「人間形成」がある程度進んでからでないと教えることは不可能だからなのです。ヴァイオリン演奏や体操競技など、身体的な「曲芸」を必要とする仕事の場合には確かに英才教育は必要です。しかし、ヴァイオリン製作などの一般的技術においてはそこまでの英才教育は必要ないのです。それ以上に重要なのは一般教養、基礎教育です。更に言えば「応用力」なのです。
現代の義務教育と職人教育
 さて、現代では義務教育は非常に高レベルになっています。しかし社会は更に上を求めているということも事実でしょう。具体的に言えば、実質、高校までを「義務教育のレベル」と考えても決して間違ってはいないと思います。場合によっては「大学、専門学校」までを含めて、一般基礎教育と考えている方もいると思います。この様に、現代における社会の求めている「基礎教養」とはかなりハイレベルなのです。ただ勘違いしないでください。これは何も「学歴」のことを指しているわけではありません。そしてまた、そうでない人のことを差別しているわけでもありません。
 なぜヴァイオリン製作者にこの様な「社会の求める一般教養」が必要なのかといえば、その社会の中で生きていかなければならないからです。ヴァイオリン製作者に求められるものは、何も製作の技術力だけではありません(それが最も重要ではありますが)。その他にも、仕入れ、販売、経営、顧客対応、税務処理、技術向上のための応用力、先見性・・・等、様々なものが求められるのです。そして「できる製作者」とは、高い技術力の上に、さらにこれらを持ち合わせた人なのです。これは何も「金儲けに走っている、ずるがしこい人」と言っているわけではありませんので、誤解しないでください。
 このように、ヴァイオリン製作者として高い技術力(応用力を含む)を修得するためには、それ以前に人間形成が必要不可欠です。このためには現代においては一般教育を受ける必要があるのです。そして私が考える最低限の一般教育とは、高校生レベルの教育になります。もちろん、高校を卒業していなくても、「それ相応の教育」を修得していれば問題はありません。この様にして考えると、ご質問の「中学を出て直ぐに・・・」というのは現実離れしているのです。
具体的には何歳から良いのか?
 私の考えでは、最低でも高校レベルの一般教養は必要と思います。それどころか、大学で何らかの勉強してきて回り道をしたとしても、それは最終的にはヴァイオリン製作の役に立つことでしょう。事実、私も大学で回り道をしましたが、現在のヴァイオリン製作の仕事に大きく役立っていると感じています。もっとも、大学に行く方が良いとは言っていませんので、注意してください。というのは、大学まで行くことによって、確実に年齢的なハンディも増えるからです。事実私もそのハンディは感じました。このどちらがよいかは個人差によることでしょう。現実問題として、私は18才〜24才位からヴァイオリン製作の道に付くのが最善と考えています。
 これ以上の年齢からは、決して不可能ということはないのですが、年々厳しくなっていくということは事実です。というのは、身体で技術を修得する事が年齢と共に難しくなっていくというだけはなく、頭も固くなってしまうからです。若干専門的な内容になりますが、自分の器を越えた技術を修得するためには、一旦自分自身を否定しなければならないからです。頭が固まっていると、これができずに、どうしても自分自身の器の範囲での技術しか習得できないのです。
 また経済的な意味でも、いつまでも無収入、低収入のまま頑張って勉強するわけにもいきませんので、ヴァイオリン製作を志す年齢というのは、上記のようにある程度限られてくるということは確かなのです。もっとも、これは私の考える一般論で、それ以外が不可能、または絶対に良くない事と言っているわけではありませんので、誤解しないようお願いします。

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