マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:日本の気候で、良い楽器は製作可能なのですか?

:ヴァイオリンの本場ヨーロッパと比べて、日本の気候は湿度が高く、ヴァイオリン製作には向いていないと思っている方も多いのではないでしょうか?ここで付け加えておくならば、日本の気候は単に湿度が高いだけではありません。冬にはヨーロッパと比べものにならないくらいの乾燥期があるのです。
 さてこのようにヨーロッパと異なる気候下において、よいヴァイオリン製作が原理的に可能なのか、それとも不可能なのかを述べてみましょう。

日本で、良いヴァイオリン製作は不可能?
 「日本で、良いヴァイオリンの製作は不可能」と言う人にその理由を聞いてみると、ほとんど全ての人が、単に「ヨーロッパと製作環境が異なるから」と言います。もちろんこれは間違いのない事実です。しかし、それではヨーロッパと環境が異なる日本でのヴァイオリン製作において、原理的に良い製作は不可能なのでしょうか?その答えのポイントは、どこにおいてヴァイオリンが使用されるかにあるのです。
 ヴァイオリンは芸術品ではありません。実際に使用(演奏)する時にその力を最大限に発揮してはじめて、実用品として「性能が良い」と言えるのです。こうして考えると、「本場ヨーロッパで製作されたヴァイオリン」=「理想的なヴァイオリン」とは必ずしも言えません。というのは、ヨーロッパの気候と日本の気候の違いから、楽器の状態に変化が生じてしまうからです。
ヨーロッパと日本での製作の違いの具体例
 ヨーロッパでの使用を前提とした製作と、日本での使用を前提とした製作における具体的な違いをいくつか挙げてみましょう。
 まずは、使用するニカワの濃さがあげられます。ヨーロッパ内だけでの使用を考えて作られたヴァイオリンを日本に持ってきた場合、場合によっては湿度、乾燥が原因で響板が剥がれてしまうトラブルが起きます。これはその楽器の製作方法に欠点があったのではなく、日本のような気候での使用を考慮しないで製作したからなのです。また、少々専門的になりますが、使用するニカワの純度もヨーロッパと日本とでは異なります。日本の場合は湿度の高い時期があるために、ヨーロッパで多く用いられるような純度の低いニカワを大量に塗っている場合には、時としてニカワが腐ってしまい接着力が落ち、剥がれてしまうトラブルが起きるのです。これも「欠陥」ではなく、製作時において、単に日本のような環境での使用を考えていなかったというだけなのです。
 その他にもニスの硬さもあげられます。たとえばヨーロッパは(国にもよりますが)、日本のような灼熱の夏はあまりありません。したがって楽器に使うニスも、ある程度柔らかくてもベトつかないのです。しかし、それを日本に持ってきたとたん、毎年夏になる度にニスがベトベトになるというトラブルで頭を抱えるようになるということもあるのです。
 他にもヨーロッパと日本との気候の違いによっての楽器の変形、割れなど沢山のトラブルの元が存在します。事実、私の知人のドイツ人コントラバス製作者は、日本や韓国において彼の多くの楽器が使われているのですが、そこで起きる自分の楽器のトラブルについて、「そんなはずはないんだが・・・・。おそらく気候の違いだろう。現在は、アジア用には部分的に厚めに製作しているが」というような内容を話していました。
日本でのヴァイオリン製作は?
 さて上記の例で分かりますように、本場ヨーロッパでの製作だからといって、それが単純に良いヴァイオリンに結びつかないということは分かっていただけたかと思います。原理的に言えば、使用する場所での製作が理想的とさえ言えるのです。というのは、製作時における環境と、使用時における環境が同じであるほど楽器に歪みが生ぜずに、結果的に良好な状態を保つことができるからです。これは結果的に楽器の音色にも影響を及ぼします。
 しかし、私はだからといって、「日本で使う分には日本人の製作が最高」などという気は全くありませんので、勘違いしないでください。これまで述べてきたことは、「原理的に、日本での製作は良いものは作れない」ということを否定しただけなのです。
 良いヴァイオリンとは、そのような一つ二つの要因だけで出来上がるような単純なものではありません。あくまでも出来上がった「総合体」として、楽器を偏見無く見るべきです。
日本での製作における欠点
 さて最後に、公正をきすために、日本におけるヴァイオリン製作でのデメリットも書いておきましょう。まずあげることができるのは、木材の長期乾燥に気を使わなければならないということです。日本での木材の自然乾燥においては、梅雨時期などは除湿してあげないと木材にカビが繁殖してしまったりします。また、湿度が高いと繁殖する虫によって、木材をだいなしにしてしまうことも多いのです。
 また、湿度の高い時期におけるアルコールニス塗り作業は、下手をすると水分がアルコールに混じってしまい、ニスが濁ってしまいます。しかし、これは室内の除湿が可能になった現代においては、それほどのデメリットとは言えなくなりました。
 この他にはヨーロッパと違って、木材・製作道具の入手が輸入になるために困難などのデメリットがありますが、これは「気候」とは別の意味となります。このように、日本の気候での製作におけるデメリットをいざ探そうとしても、それほど多く挙げることができるほどのものでもないのです。
最後に
 ここまでは日本のヴァイオリン製作における気候は厳しく、ヨーロッパのそれは理想的というようなことを書いてきました。これは他の著書などでも見られる「定説」です。事実、私の住んでいたドイツのミッテンヴァルトなどは確かにヴァイオリン製作において気候的な意味では都合が良かったです。しかし、ヨーロッパが全て理想的な環境というわけではないようです。例えばヴァイオリン製作のメッカであるクレモナは、そうでもないらしいのです。これは私のクレモナ在住の日本人製作者から聞いた話ですが、クレモナの夏は非常に気温も湿度も高く、木材も安易な保管をしておくと虫にやられてしまうと言っていました。
 日本では「ヨーロッパは気候がからっとしていて、ヴァイオリンも良く鳴る」という表現は、日本の演奏者がよく行くドイツやオーストリア(北・東ヨーロッパ)などにおいて当てはまることで、これをヨーロッパ全てに安易に当てはめるべきではありません。
 これまでのことをまとめてみると、自然と答えはできます。「日本の気候では良いヴァイオリン製作は不可能」ということが正しいのであれば、クレモナでも良いヴァイオリンは作れないということになってしまいます(日本とクレモナが気候的に同じと言っているわけではありません)。これは、ヴァイオリン製作の歴史を見れば間違いということは一目瞭然です。すなわち、「良い楽器」の本質はもっと他の部分にあるということなのです。

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