マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:カーボンファイバー製の弓の性能は、どうですか?

:最近は技術の進歩によって、カーボンファイバー製の弓も増えているようです。今までにもありはしたのですが、これまでは作りのいい加減な低価格品ばかりでした。しかし最近では、高級弓としても発売しています。

カーボンファイバー
 カーボンファイバーとは、炭素繊維を接着剤で束ねた材質です。「釣り竿」、「ゴルフクラブのシャフト」、「スキー板」などには以前から用いられている材料で、とても軽くて、しなやかなのが特徴です。最近ではチェロのエンドピンにもこれを応用した製品が出ていて好評です。
 カーボンファイバーの欠点としては、製品の加工のしにくさです。このために、これまでは弓のような複雑な形状の製品は作られなかったのでしょう。
カーボンファイバー弓のバランス
 高級カーボンファイバー製の弓は、一見したところでは普通の弓とは変わりません。事実、フロッシュ(毛箱)などは、以前と全く同じ材質のものが使われています。カーボンファイバーの部分は、弓の竿部分なのです。
 この材質を使った弓竿の特徴は、「軽くて、その割に強い」という事です。しかし、とくにこの「軽さ」は木材とはあまりにも異なっています。このようなカーボンファイバーを使用して弓を作ると、その重さはあまりにも軽くなりすぎるのです。従って、その分、手元に太めの銀を巻いて重さを増してみたり、または弓先に重りを入れたりして重さの調節をしているようです。
 このような重さの調節をした弓は、一見、その質量も、重心位置も、これまでの弓と変わらないようにみえます。しかし実際には、まるで違うのです。というのは、ある部分に重さを追加した弓と、弓竿全体に重さがある弓とでは、弓を動かしたときの加速度の大きさが違うからなのです。すなわち、弓を動かしたときの感覚が、違ってくるのです。
 また弓の一部分を弦の上に乗せたときのバランス配分も、違いが出てきてしまいます。弓は基本的に持って弾くものではなく、ある部分を弦に乗せた状態で操作するものなので、これらの二つの弓のバランスには違いが現れるのです。
カーボンファイバー弓のメンテナンス
 楽器や弓は、自動車のように10年ほど使えれば良いというものではありません。良質なものならば、最低でも100年間は使用するというのが現状です。このためには「修理」、「調整」という作業がとても重要になってくるのです。逆に言えば、修理・調整の効かない製品は、絶対に長持ちしないということなのです。
 これまでの良質弓材質は、長年の使用によって弓の反りに狂いが出たときでも、火であぶることによって反りの修正ができました。しかしカーボンファイバー製の弓の場合は、このような修正が効きにくいと考えられます。

 このように、現在の私の考えにおいては、中級(10〜15万円以上?)以上の弓において、カーボンファイバー製弓のメリットは感じないというのが正直なところです。
 しかし低価格帯の弓においては、話は別です。この価格帯になってくると、木材の質があまりにも悪いために、弓の強度が不足しがちです。ですからこの価格帯においては、カーボンファイバー弓ならば、先のデメリットを差し引いても十分な魅力があると思います。また短期消耗品として割り切ることもできます。

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追記1:上記内容を書いてから5年以上が経ちました。現在、その時に見たいくつかのカーボン弓の剛性の劣化が想像以上に進んでいる(腰の無い弓になってしまっている)のに私自身さえも驚いています。もっとも、全てのカーボン弓がそのようになると言っているわけではありませんので、誤解しないようお願いいたします。 2002.12.31

追記2:上の追記1を掲載したところ、ある技術者の方からメールをいただきました。その方はカーボンファイバーの専門の技術者ではありませんが、それを利用している関連の技術者です。そのメールの内容を抜粋して掲載します。あくまでもこの内容は、この技術者の一考察(論文の結論ではありません)ですのでどうかその点を誤解しないようお願いいたします。
カーボン弓は炭素繊維にエポキシ樹脂を混ぜて成型するようですが、弓の性能の劣化はこのエポキシ樹脂の変質が主原因だと推測されます。これにより炭素繊維間の結合が弱まり、いわゆる『腰の無い状態』になると思われます。特に、硬化スピードの早い樹脂であるほど耐久性が弱くなる傾向があるので、生産性を上げるために速硬化性の樹脂を使った低価格カーボン弓では、より早く性能が劣化するものと思われます。炭素繊維自体は恐らくそう簡単に劣化しないと思いますので、この点を改善すればカーボン弓にも期待が持てるのでしょう。
 炭素繊維の断面は炭素シートが幾重にも丸まった状態なのですが、これも焼成条件で密(一般に高価)になったり、疎(一般に安価)になったりします。当然、疎であるほうが欠陥が多く、炭素シートが破壊されやすいので、マクロ的には機械的特性に劣り、繰り返し荷重にも弱いとは思います。しかし、局所的には荷重が掛かるとしても、弓として使ってそこまで破壊が進むとは想像しにくいです。作ったばかりの安いカーボン弓と数年間使用した同じ物の断面を電子顕微鏡で観察すれば、もっとはっきりしたことが言えると思いますが…。