マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:弦が劣化するということはどういうことですか?

A:端的に言えば、弦の劣化とはすなわち音が悪くなることです。しかし、楽器のユーザーは毎日楽器と接しています。従ってそれ故に、楽器の音の日に日に変化する微妙な劣化に対して鈍感になりやすいことも事実なのです。そこで「弦の劣化」の仕組みを知ることで、弦の劣化に対する客観的な意識が生まれるかもしれないのです。

劣化による音色への弊害
 まずは一番重要な事を書きましょう。すなわち、弦が劣化することによって、どのような音色的な弊害が生まれるかです。良い「弦」を設計する上では、相反する「細さ」、「重さ」、「均一さ」、「しなやかさ」を同時に満たさなければなりません。もちろん、原理的にはこれらを完全な意味で満たすことは不可能なのですが、可能な範囲でこれらの条件を満たすことこそが、「良い弦」なのです。すなわち、音程感があり、そして音量、張りのある音が出るのです。さらに、押さえやすいとか、各弦においてバランスが取れているという条件も満たされていなければなりません。
 さて、弦の劣化とはすなわち上記の条件に乱れが生じ、結果的に音色的・演奏的に悪影響が出るということです。多くの場合には、音に張りが無くなりモコモコした音になります。また倍音声分に乱れが出て、音程感が取り難くなってしまいます。次は、このような弦の劣化の要因を書いてみましょう。
弦の「均一さ」の乱れ
 新しい弦は可能な限り「均一」に作られています。ところが弾いているうちに、この均一性に乱れが生じるのです。具体的には、駒や上枕に接している部分が折れ曲がってしまったり、またはその部分の巻線が乱れてしまいます。または、頻繁に押さえるポジションの巻線がほつれてしまうということもよく起こりうることです。この他にも、弓を擦り付ける部分が目に見えない範囲で磨耗して細くなったり、または押さえる部分も、やはり目に見えない範囲で細くなってしまいます。または汗などが巻線にしみこんでしまい、「均一さ」を乱してしまいます。この他にも、弦の表面に錆が付いてしまった場合でも、弦の均一さに乱れが生じてしまうのです。
 このように、弦の「均一さ」に乱れが生じると、理想的な倍音成分が出なくなってしまうのです。こうなってしまうと、実際に押さえている音(基音)の音程が正しくても、その倍音声分がくるっているために、自分が弾いている音が合っているのか間違っているのかが分からなくなってしまうのです。
弦の伸び
 弦は使っている内に徐々に伸びます。これは、弦を交換したばかりの時に、直ぐに音程が下がり、頻繁に糸巻きを巻き上げなければならないので実感されていることでしょう。この「伸び」とは、少々専門的な言い方になりますが、「線密度の低下」を表します。簡単に言えば、弦の重さが減ってしまうのです。弦は重いほど、弦の張力が強くなります。すなわち「張りのある倍音声分」が出るのです。これによって、ホールの遠くまで届くような音色を出すことが可能なのです。もちろん、「張りのある倍音声分」と言っても、その度合いや質が重要であることは当然のことですが。
 さて、弦が伸びてしまうということは、音色が丸くなってこもってしまうということに等しいのです。弦の劣化において、この現象は一番顕著に感じ取ることができるでしょう。
弦の「しなやかさ」の乱れ
 最近のほとんどの弦は、とても複雑な構造をしています。芯材の構造の複雑さだけではなく、巻線も二重、三重に巻かれているのです。これは「弦を重くしたいが、しなやかさを保ちたい」というための構造です。事実、新品の太い弦を曲げてみてください。その太さと重さの割に、とてもしなやか(フニャフニャ)だということに驚くことでしょう。これが現代の「ハイテク弦」なのです。
 さて、この様な複雑な構造故に、弦を使っている内に劣化も起きるのです。すなわち、新品の時には規則正しく多層に巻かれていた巻線が、弦が伸びることによって乱れてしまうのです。具体的には、巻線同士の間隔が空いてしまうために、下層の巻線に上層の巻線が食い込んでしまうのです。この様な状態の弦は、しなやかさが無くなってしまいます。この事は、交換する古い弦が、新品の状態よりもかなり硬くなっているという事からも理解できることでしょう。すなわち、これが「劣化」なのです。
 この様な「しなやかさを失った弦」は、大げさに言えば「鉄の棒」に等しいのです。鉄の棒を叩いた場合、倍音声分が乱れているために、全く音程感が出ません。これはトライアングルの音をイメージしていただければ理解できると思います。余談ですが、トライアングルは音程感がない故に、どの曲にでも違和感無く使用することができるのです。
 話がずれてしまいましたが、劣化してしなやかさを失った弦では、綺麗(正確)な倍音声分は出ません。こうなってしまうと、先に述べましたように、自分の音が合っているのか、間違っているのかよく分からないような状態となってしまうのです。または、自分は自信をもって正しい音程を弾いているつもりでも、他人には音程がおかしいと思われてしまうということもあり得ます。
 今回は弦の劣化の原理について書いてみました。皆さんの中にも、これらの現象に関して思い当たるかもいらっしゃることでしょう。このような原理を知ることで、弦に対しての客観的な目を養うことができ、それは楽器へのメンテナンスにも大きな影響を与えることでしょう。当然、それは「音色」にも反映されると、私は信じています。

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