マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:渦巻きの部分は音に関係あるのですか?

:これは良い質問です。そして重要な問題です。
 まずは、渦巻きの部分が音色に影響を与えるかどうかを答える前に、楽器の音色がどのようなものによって決定されるのかを考えてみましょう。

直接的要因
 これは簡単に想像できると思います。例えば、楽器の板の厚み、弦の種類、演奏方法など、いわゆる「音響」的な事柄です。「振動」と直接結びつく内容と言ってもよいかと思います。
間接的要因
 楽器の音を決定する要因は、先に述べた「直接的要因」だけではありません。その他にも間接的にですが、音に影響する要因もあります。
 例えば、ニスの塗装技術を例に取ってみましょう。同じ質のニスで、一方は綺麗な塗装技術で仕上げた楽器。そしてもう一方は、見ただけで汚い、まだらなニス塗装の楽器。これら二つの楽器では、塗装技術の差以外がもしも全く同じだったとしたら、その音にほとんど差は出ません。しかし、長い期間で見てみると、綺麗な楽器ほど丁寧に取り扱われ、汚い楽器ほど乱雑な取り扱い方がされる傾向にあります。これは演奏者の取り扱いのみでなく、修理者の取り扱いにおいてもそうなのです。 こうした微妙な差を、長年蓄積した二つの楽器の性能に違いが出ることは予想が付くのです。そして、「予想の付く将来的な性能」は、すなわち「現在の性能」とも言えるわけです。これが「間接的要因」です。


 さてここで「渦巻き」について、先に述べた二つの要因を元に、考えてみましょう。
 ここでは「渦巻き」とは、楽器先端の装飾部分だけと考えます。この部分は単純な幾何学模様だけに、製作の精度が現れやすいところです。

渦巻きが与える直接的要因
 純粋な意味では、渦巻きの製作精度が音に与える、直接的要因はわずかです。その質量(渦巻きの大きさ)でしょう。従って、各製作者の渦巻きの形によって若干の質量差ができ、そしてそれは音にも影響するのです。しかし、この影響力はずいぶんと小さいもので、あまり神経質になる必要はないでしょう。
渦巻きが与える間接的要因
 渦巻きの部分に限っていえば、音に影響を与える直接的要因よりも、間接的要因の方が遙かに大きいのです。
 先にも述べたように、渦巻きの部分は単純な幾何学模様です。そして、単純なほど技術の差は歴然と現れるものなのです。従って、渦巻きの上手な製作者は、他の部分の製作精度も良いと言い切っても良いのです。これはすなわち、音がよい確率が高いというわけです。
 また、綺麗な渦巻き(渦巻きだけではなく、楽器全体が綺麗でしょう)の楽器は、丁寧が取り扱いがされます。また、修理の時にも、修理者はいい加減な修理ができないのです。製作精度の高い楽器に下手な修理をすると、その部分がバレてしまうからです。従って、修理者は気を引き締めて取り扱う場合が多いです。このようにして取り扱われる楽器は、長い間に楽器が傷みません。

 渦巻きという箇所は面白いもので、音と一番関係ないと思われる部分だけに、その製作者の性格が現れます。そして最終的には、渦巻きの製作精度と、その他の部分の製作精度とは同じになってしまうものなのです。
 これをもっと顕著に表している部分は、糸巻き箱(ペグボックス)の中の製作精度です。この中なで綺麗な楽器で、その他の部分が雑という楽器は見たことがありません。「トイレを見れば、その家のことは分かる」というのと同じですね。

 もちろん例外もあります。例えばグァルネリの楽器などは、渦巻きの部分は明らかに手抜きしているものが多いです。私の考えでは、彼はヴァイオリンという楽器がこれほど長期にわたって使われる道具になるとは想像していなかったと思います。従って「長期的、間接的要因」は考えずに、直接的に音に影響する部分(胴体など)だけを精度良く作ったのでしょう。従って音は良かったのです。
 当時はヴァイオリンの歴史自体が浅く、また製作者も少なかったので、音の良いグァルネリの楽器はもてはやされ、そして大切に扱われました。これが現在においても、グァルネリの楽器が名器として残っている理由です。
 ただ、これが現代においては話が違ってきます。現代では当時と違って、ヴァイオリンという楽器の考え方も、そしてヴァイオリン製作者の数も違います。従って、もしも無名なストラディヴァリとグァルネリが現代において同じような楽器を作ったとしたら、渦巻きまで綺麗なストラディヴァリの楽器は将来「名器」になる確率は高くても、渦巻きの製作精度の低いグァルネリの楽器がそうなる確率は少ないはずです。 

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