京大IPS研究所で論文の不正があったそうです。研究論文の不正なんてもう珍しくはないので、ニュースにする価値も無いでしょう。

 「研究者のモラルが・・」と言う人もいるけれど、例えば社会全体ではどうなのでしょう? 大林組の談合は? 政治と役所と企業間の「忖度問題」は?

 それどころか、一般的にも「インスタ映え」など言う言葉が当たり前になっています。これはすなわち「誇張」の事です、人よっては「嘘の記事」をアップすることも多い現代です。

 そんな中、研究者だけにモラルというのは、無責任ではないでしょうか?

 現代社会は「評価(される)」を基準として成り立っています。良い大学に入るのも「評価(採点)」だけが基準です。職業を選ぶのも「(社会的)評価」で選択する人が多いことでしょう。会社に入っても「評価」です。

 だからとうぜん研究者にも「評価」が求められ、「インスタ映え」ならぬ「評価映え」する論文を書いてしまうわけです。

 大体、私から言わせてもらうなのら、研究者が「評価される」事を求めていること自体が間違っているのです。周りから評価されない事こそが最先端なのですから。自身を持って、(今は)評価されない事を行うべきなのです。しかし、短期契約の研究者にそれが出来るわけが無いのです。

 もうずいぶん前に、ある研究者に「周りから評価されない事こそ重要で貴重のはず」と言ったら、「そんなことをしたら、予算がもらえません」と反論されました。情けない社会ですね。

 私はありがたいことに、誰からも期待されていないので、自信を持って周りと反対方向に突き進むことが出来るのです。
「ああ、周りから期待されていない落ちこぼれ&個人事業主で、本当に良かった。」
 これ、悔し紛れで無くて、本当に自分が目指している方向なのです。周りからの「評価」なんてどうでもよいのです。もちろん、褒めてもらったり、喜んでもらえると、とても嬉しいですけれど。

 

 蛇足になりますが、私は「コンクール」は大嫌いです。実は私も20代後半とかの若いときには、ヴァイオリン製作コンクールで賞をとって評価されたいと思っていた時期もありました。しかし、業界の内情、審査員のレベル、個性の違いなど「評価(審査)」の意味を深く理解すると、逆に「他人から評価されたくはない」と思うようになったのです。

 音楽コンクールも含めて、あんなの単なる商業的な意味合いも含んだ「ショー」でしかありません。なぜなら、それぞれ、その人なりの個性と魅力があって、それは順位が付けられないではないですか!

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