巻線と、弓の重心の関係
ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
弓の重心移動の計算方法
重心はそれぞれの質点系について、その「質量×距離」を求め、それを足し合わせ、そして全体の質量で割ったものとして求めることができる。これを物理学的に書くと、次のようになる。
Σrimi
重心の座標 G=──────
Σmi
mi:質点iの質量
ri:基準座標から質点miまでの距離
この式を応用すると、銀線を巻く前において、弓の重心を計算で正確に予測することができるのである。
Σrimi+rm
移動した重心の距離G=──────
M+m
M:巻線なしの弓の重さ
m:巻線の重さ
ここで巻線の重さを積分によって導くと、上の式は次のように変形される。
Σrimi+∫rσdr
=────────
M+m σ:単位長さあたりの巻線の重さ
巻線を巻いていない状態で、重心のとれた位置を基準点(G0)とすると、Σrimi=0ということがわかるので、上の式は、最終的に次のように巻線の積分だけの簡単な式に変形される。従って、重要な値としてσ(1mm幅巻いた時の巻線の質量)を求めることが必要になってくるのである。
∫rσdr
=───────
M+m
1mm幅巻いた時の巻線の質量σの求め方
σを求めるためには、次のことがわからなければならない。
・巻線の直径
・巻線の線密度(巻線1mあたりの質量)
次はこれらの求め方について、順に説明していく。
1・巻線の直径と、線密度
巻線の種類 | 密度 | 線密度 |
洋銀線 | φ 0.250mm | 0.427g/m |
銀線(太) | φ 0.300mm | 0.741g/m |
〃(細) | φ 0.250mm | 0.441g/m |
銀糸線 | φ 0.500mm | 0.389g/m |
〃 | φ 0.375mm | 0.236g/m |
金線18K(太 | φ 0.300mm | 1.014g/m (Au75% Ag15% Cu10%) |
〃 (細 | φ 0.250mm | 0.604g/m |
金線14K(太 | φ 0.300mm | 0.853g/m (Au59% Ag12% Cu25%) |
〃 (細 | φ 0.250mm | 0.508g/m |
鯨のひげ | - | 1.053g/m (幅1.6mm 厚み0.6mm) |
これらの値は実測で求めた(金線は計算によって)。この表をみると、金線と銀線の太い方が飛び抜けて重いということがわかる。また、銀糸線は太いにも関わらず、重さは軽いということもわかる。直径0.25mmの銀線と洋銀線は、重さの面からだけ見れば同質のものであると考えてよい。 注意する点として、上記の線密度の割合は、直接、重心移動の割合に結びつくものではない。なぜなら太い巻線は重いが、太いぶんだけ巻き付ける長さが短くてもすむからである(鯨のひげはより一層そうである)。この2つの関係がこれから行なう計算によって正確に求められるのだ。
2・巻線の長さの計算方法(参考)
巻線の長さは、実際に巻いたものを解いて測るのがよいが、それは実用的でないので、計算によって近似的に求める方法をとる。そこでまずは、巻線を一周巻くとどれほどの長さになるかを考える。円の一周の長さは、「直径×3.14」で求めることができるが、実際は図のように、銀線の中心は直径よりも外側にあるので、点線の長さは次の式で求められる。
巻線の一周の長さ=(弓の直径+巻線の直径)×3.14
これで一周の長さが求まったので、次はそれが何周巻かれているかである。1mm幅に入る巻線の数は、「1mm/巻線の直径」であり、これに巻いた区間の長さをかけると巻線の巻いた長さがでてくる。よってまとめると、
巻線の長さ =(一周の長さ)×(1mm/巻線の直径)×(巻いた区間の長さ)
=(弓の直径+巻線の直径)×3.14×(1mm/巻線の直径)×(巻いた区間の長さ)
(弓の直径+巻線の直径)×(巻いた区間の長さ)×3.14
= ─────────────────────────────
巻線の直径 注意・・・単位はmmででてくる。
3・σ(1mm幅巻いた時の巻線の質量)の求め方
上の2・で「1mm幅に入る巻線の巻く数は、(1mm/巻線の直径)で求めた。従ってその幅の巻線の長さは、
1mm幅の巻線の長さ=(一周の長さ)×(1mm/巻線の直径)
これに線密度をかけるとσがでるのである。
σ=(一周の長さ)×(1mm/巻線の直径)×(線密度)
このσが求められれば、後はいちばん最初に述べた積分の式を実行すればよいのである。
4・重心の移動距離Gの求め方
∫rσdr
移動した重心の距離G=──────
M+m
[ r2σ]b a
=───────
M+m
1/2σ(b2 -a2)
=────────
M+m
一方巻線全体の重さは、(全長×線密度)なので「2・」で求めた巻線の長さの計算を利用する。すると「m」が求まる。
a:最初の重心から巻きはじめの点までの距離
b:最初の重心から巻き終わりの点までの距離
M:巻線無しの弓の質量
m:巻線の重さ
これから述べる重心の移動距離は、すべてこの式によって導いたものである。
巻線の巻く長さの基本は、弓の竿の終端から13.5p〜14.0pまでの約50mm〜55mm間である。(東京ヴァイオリン製作学校基準)この5mmの差は個人の好みによる。従ってこの差が、どれだけ重心の移動に関係してくるかが興味深いところであるが、次の表がその計算結果である。
巻線の種類 | 直径 | 重心移動距離 (50mm) | 重心移動距離 (55mm) |
銀線(太) | 0.300mm | -7.1mm | -7.6mm |
〃(細) | 0.250mm | -5.1mm | -5.5mm |
銀糸線 〃 | 0.375mm | -1.9mm | -2.0mm |
金線14K(太) | 0.300mm | -8.1mm | -8.7mm |
〃 (細) | 0.250mm | -5.9mm | -6.3mm |
鯨のひげ | − | -2.0mm | -2.2mm |
これを見ると、5mm多く巻線を巻いた割には、重心の移動が少ないといえる。なぜならば、巻線を巻き足した方向が、重心に向かってだからである。重心の変化量は、同じ重さのものを加えても、重心から遠い物ほど大きくなる。これで個人の好みによる巻線の量は、この位の違いでは余りでないことがわかった。
巻線を重くし過ぎる風潮について
現在の流行として、弓の重さを巻線やチップによって増すという方法があげられる。銘弓に当り前のように0.3mmの巻線を巻いたり、チップを銀に取り替えたりしている。このようなことに対して、重心がどう変化しているかを考察してみる。
まず先の表を見ると、金線の重心移動量が大きいことがすぐにわかる。しかし、金線の場合、その質量の大きさは誰でも知っているので、注意深く取り扱われる。これに対して危険なのは銀線である。銀線の0.25mmと0.30mmは、なれた人でないとすぐに見分けがつかないので、少々重くしたい場合に、無神経に0.3mmの銀線を巻いてしまうようだ。しかし、それらの重心移動量は約40%も違っている。もともと古い銘弓は銀糸線や、鯨のひげによってバランスをとられたものなので、この様に巻線の重さの増加は、もはや限界にきている。ちなみに、銀糸線と鯨のひげは重心の面からは同質の物とみてもよい。
次の図は巻き皮の下まで銀線を巻いた物であるが、こうなると話はより深刻になってくる。
直径 | 50mm | 巻皮下も | |
銀線(太) | φ 0.300mm | -5.1mm | -11.4mm |
〃(細) | φ 0.250mm | -5.1mm | -8.3mm |
重心が1cm以上も変化するということは、もはや全く別の弓になってしまったと考えても、大げさではないのではないだろうか(たとえ演奏法が変わっているとはいえ)。
銀チップによる重心の変化
チップを象牙から銀に換えた場合
象牙チップ 0.25g
銀チップ 0.65g (厚み0.5mm )
先ほどと同じ計算法により重心移動の差を求めると、銀チップに換えることによってG=+3.7mmという結果がでた。
チップの位置は重心点より離れているために、ほんの0.4gの差でも顕著な差として現われる。この様にチップの重さは、0.1g単位で神経質に決定しなければならない。まして、チップの中に鉛を詰めるということは、次元の違う話となる。
まとめ
これまで重心の移動量を数学的に導いてきたが、これをいちいち計算することは現実的でないので、おおよその傾向を目安にすれば実際には十分である。
銀線の0.25mmを基準とし、それに対して何%変化するかを表わした物である。但し注意することとして、これはそれぞれの弓の条件によって微妙に違ってくる。
巻線の種類 | 直径 | 50mm巻いた場合 |
銀線(太) | φ 0.300mm | +2.0mm +39% |
〃(基準) | φ 0.250mm | − |
銀糸線 〃 | φ 0.375mm | -3.2mm -62% |
金線14K(太) | φ 0.300mm | +3.0mm +59% |
〃 (細) | φ 0.250mm | +0.8mm +16% |
鯨のひげ | − | -3.1mm -61% |
これによって、バランス的に基準銀線と同じと考えられるのは、0.25mmの洋銀線か0.25mmの8K〜10K金線ということがわかる。これ以外の巻線を使用する場合には、その効力を理解した上で使用しなければ弓の重心位置が変わってしまうので、注意が必要である。