木材の科学

1987/12/1 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

 ヴァイオリンに限らず、楽器の振動板において大切なことは、比重が小さく、かつ、比重のわりに強度(ヤング率)が高いということにある。これは木材(とくにドイツトウヒ)の大きな特徴であり、この他の「価格」、「加工のしやすさ」、「経年変化」などの特徴も含めて、木材に勝る弦楽器振動板材料は見当たらない。
 木材の「軽いわりに強い」という仕組みは、その細胞構造にある。樹の細胞は、約7割がセルロース類、そして約2割がリグニンでしめられている。このセルロースは砂糖の仲間の糖類で、非常に巨大な分子構造(高分子)をしており、これらどうしが絡まり、束になり、強い細胞壁を作りだす。一方、リグニンとは細胞の中を埋めている物質で、セルロースが鉄骨ならば、リグニンはセメントと言えるかも知れない。

木の乾燥
 先で述べたセルロースは、水とよく結び付きやすく、木に含まれる水分の約30%がこうして細胞内に結び付けられている。これを「結合水」と言い、残りの水分を「自由水」と言う。
 切り倒された幹は、少しずつ水分を失う。初めに減少するのは、蒸発しやすい自由水である。蒸発が進むと自由水がなくなり、細胞内にはいりこんでいた水、つまり結合水が蒸発しはじめる。そして自然のまま放置すれば、そのときの気象とつりあった含水率になる。その値は、日本の場合、15%とされている。
 水分が少なくなってくると、セルロースとセルロースとの間にあった結合水がなくなり、セルロース同士は、一層結び付きを強める。従って、上のグラフの様に含水量の減少に比例して、木の強度が増す。これがヴァイオリンの木材を寝かせておく一因なのである。しかし、自然状態に放置された木材は、3〜4年で外気とつりあった含水率になるため、一般にヴァイオリンの材料を最低10年間はねかせるということは、木材の化学的経年変化に時間をかけていると考えられる。
年輪と比重
 木材の比重は、その物理的性質に大きな影響を及ぼす。晩材(冬目)ヘの移行が急で、晩材幅の広いものは、材面は粗いが比重が高く強度がある。一方、晩材への移行が緩やかで、晩材幅の狭いものは比重が低い。
 グラフの縦軸は細胞壁率で、密度、すなわち比重を表している。このように、密度の高い晩材層の存在は、針葉樹材の外観と性質に著しく影響する。










 次は針葉樹材の年輪の幅と比重との関係である。 一般に、針葉樹林では、年輪幅が増加すると早材の割合が増し、材の比重は小さくなる。この傾向は、晩材への移行が急な木材ほど著しい。グラフは2種類のマツについてのものであるが、比重は年輪幅1〜2mmで最高となり、それ前後ては比重が低く、強度も弱くなってしまう。これは経験的に良いとされてきたヴァイオリンの材料の条件と合っている。




セルロースの結晶化
 これまでに、乾燥に伴う木材の強度変化を述べたが、その中で一番大きな影響を及ぼすのが、セルロースの結晶化であると考えられる。
 木材中において、セルロースは結晶化している部分と、非結晶化な部分として存在している。セルロースは高分子の束になったもので、非常に強い構造を持つが、そのセルロースの束が整然と並び、結晶化することにより、構造的により強くなるのである。そしてもう一つ重要なことは、結晶化した部分では水と反応しにくくなるということである。これによって、木材中にあった結合水が自由水となり、蒸発しやすくなる。図-2のグラフから、含水率と強度とは非常に大きな関係があるということが分かるので、この影響は大きいと考えられる。 今までのことをまとめて弦楽器製作用の木材の乾燥を順序立てて考えてみると、次のようになる。
最初の3〜4年間・・・木材中の自由水がかなり急な勢いで蒸発し、含水準が30%位になる。この時点では、含水率変化による木材強度の変化はない。
以後10数年かけて・・セルロースが次第に結晶化し、それに伴い結合水の割合が少なくなり、最終的には日本の場合、15%程度に落ち着く。この段階では、含水率が減れば減るほど、木材の強度は上がる。またセルロースの結晶化による、強度の増加も加わる。すなわち、木材の乾燥の成果は、3〜4年経過して初めて現われ始めるのである。
 熱による強制乾燥では、含水率は短時間に、強制的に低くすることはできるが、セルロースが崩壊してしまうので、構造的に弱くなってしまうであろう。また、セルロースが崩壊してしまうと、水分の量と強度との関係も消えてしまうと考えられるので、乾燥することの意味が無くなってしまう(木材の変形を防止するという意味合いでは効果はあるが)。これは19〜20世紀初頭に盛んに行われた、人工乾燥によるヴァイオリンの劣化という、経験則とも当てはまる。
薬品によるセルロースの崩壊・膨潤
 強酸・アルカリ性によって起こる。乾燥が進み、セルロースの結晶化が大きいものほど、薬品の影響をうけにくい。

参考・引用文献
 島地謙、佐伯浩、他共著「木材の構造」文永堂出版
 善本知孝 「木のはなし」大月書店
 伏谷賢美、木方洋二、他共著 「木材の物理」文永堂出版
 中戸莞二著 「木材工学」養賢堂発行岡野健著 「木材のおはなし」日本規格協会
 R.Bruce Hoadley 「Understanding Wood」A Fine Woodworking Book
 E.Sjostrom著 近藤民雄訳 「木材科学基礎と応用」講談社