ドイツ・マイスター試験について
2000.7.20 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
まず最初に念をおしておかなければなりません事は、マイスター資格自体は、「ドイツの職人としての免許状」でしかないということです。まして日本においてマイスター取得者が希少人数しか存在しなかった20年も前のことならば別としても、2000年現在における日本人のヴァイオリン製作マイスター資格取得者が7名(海外在住者は除く。氏名は脚注に記載)にもなった現在において、マイスターという資格自体に希少価値も特別なステータスはありません。
しかし、マイスター資格を取得した私(達)にとって、この資格が誇りであることは間違いありません。というのは、言葉のハンディキャップのある日本人が、簡単な気持ちでは決して取れるものではないからです。
ヨーロッパにはいくつかマイスター資格制度の残っている国もありますが、ここではその中でも最も厳しいと言われているドイツのマイスター制度について書いてみましょう。
- マイスター資格取得のための手順
- マイスター試験を受けようとする場合には、その受験のための手順を踏まなければなりません。すなわち、誰でもが思いつきで受験できるわけではないのです。
*弟子・製作学校生徒として最低3年間の経験
*上記期間が終わってから、「ゲゼーレ(職人)試験」を受験。ここでは専門科目(理論、実技)の試験が行われます。この試験によって、晴れて「プロの製作者」となります。
*マイスターの工房にて、最低3年間の職業実務経験
*雇用者であるマイスターの承認のもと、マイスター試験の受験申込みを提出
*商工会議所より試験課題を得て、以後「マイスター試験期間」へ入る
*合格通知後、「マイスターブリーフ(マイスター証書)」を受け取る
- マイスター試験の内容
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マイスター受験を州の商工会議所(Handwerkskammer)に申請し、それが許可されると、受験金+講習受講金を支払います。この額はかなりのもので、私の時には日本円換算で8〜9万円だったと思います。
マイスター試験は半年〜1年間かけて行われます。そしてその内容は、大きく分けると専門科目と一般科目に分かれます。
- 専門科目
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- *マイスターシュトュック(マイスター試験課題作品)の製図作成
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普通は、ヴァイオリン製作をする上でこのような製図を作成することはありません。しかし、マイスター試験時にあえてこのような製図を描くことで、普段自分たちが無意識に行っている作業を改めて認識するという目的で、この課題が課せられています。
この「製図」は非常に難しく、我々受験生の間ででも、いかに美しい製図を描くかが腕の見せ所になるのです。私も美しい製図を描くためにずいぶんと苦労しました。ヴァイオリンの輪郭、隆起というのはとても複雑な曲線でできているために、いざ製図しようとすると、その難しさを実感します。雲形定規などは何の役にも立ちません。私の場合には、「平行曲線器具」などを試行錯誤して考案してみましたが、結局は全ての輪郭に専用の型を作るということに落ち着きました。以下の写真はその完成時の写真です。型だけで100近くにもなりました。
現在私が様々な所で利用しているヴァイオリンのイラストも、帰国後にこの時の製図をパソコンでトレースし直して(いきなりパソコンで書こうとしても不可能です)、それを再加工したものです。あの時の苦労は、無駄にはなっていなかったというわけです。
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- この製図板やRotringセットはこのためだけに購入したものです。
*専門科目の学科(製作理論、歴史、音響学等)講習
- *マイスターシュトュック(課題作品)製作
- これは単に作るだけではなく、後の試験において恒例となっている「販売価格の理論的導き方」のために、製作時間、原材料費などを記録しておきます。また、製作の開始前と製作途中の何回かに、「シャウマイスター(監視マイスター)」が来て、製作過程における不正がないかをチェックします。
- *専門学科試験
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A4紙1〜2枚(6〜7問くらい)の筆記問題です。弦楽器製作の歴史、修理方法、材料の事などが内容です。これはマイスター試験を受験するくらいの人でしたら、比較的に易しい問題です。しかし、私のような日本人にとっては、今まで聞いたことのない単語が出てきたりしますから、「言葉の壁」の意味で難しかったです。ただ、私の場合には辞書の持ち込みを許可されましたので、その点は助かりました。
この筆記試験の最後にマイスター作品の販売価格を導く計算を記載するという問題もありました。
- *専門科目の口頭試問
- 数人のヴァイオリン製作マイスター(試験官)の前で、問題が出されます。一人あたり20分くらいの試験だったでしょうか。私の場合には「ドイツ語」が一番の難問でしたので、相手の質問を的確に理解できなくて戸惑いましたが、内容的には理解していることなので最終的には少ないボキャブラリー+身振り手振りで乗り切ったという感じでした。
- *専門科目の教育実施試験
- 大げさなものではありませんが、弟子などに具体的にどのような方法で教えるかを試験(観察)します。
- *専門科目修理実施試験
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2日間に渡り、いくつかの修理課題が出され、それを試験します。継ぎネック、弓の毛替え+巻革貼り、バスバー接着、ネックのパッチ修理等が出されました。上手に作業するということも当然ですが、期間内に終わらせるということも重要視されました。
- 一般科目
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- *講習受講
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この講習は一日の実講習時間8時間半(昼休みは除く)のハードな講習が2ヶ月間弱も続きます。私のような言葉のハンディキャップのある日本人にとって、一番堪える試験内容なのです。まして、普段には聞いたことの無い専門用語+講師の訛りなどで、内容を理解することが大変でした。
この講習はヴァイオリン製作者だけではなく、マイスター資格のある手工芸技術者全てが集まります(講習は年に2度行われます)。私の近くには大工、写真家、自動車整備師などが座っていました。
主な講義(試験)内容は次の通りです。
・法律(一般、経営)
・経済
- ・簿記(仕訳実地)
- これは徹底的に行われました。私は現在全て自分で仕訳、青色申告を行っていますが、その基礎はここで教わったことです。日本もほとんど同じ方法なのでびっくりしましたが、どうやらドイツの複式簿記方法を日本が取り入れたらしいですね。
・職業教育制度とマイスター資格
・少年心理学
- ・職業教育法
- 少年心理学と教育法はかなり念入りに行われました。私がドイツマイスター試験において意外だったのはこのことです。すなわち、「マイスター」とは、「教えることのできる立場」、または「教える義務のある立場」というのが根本になっているからです。弟子や生徒に対する教育方法は徹底して行われました。その内容はまるで大学における教職課程(集中講義)そのものでした。
講習時のテキストと資料(ドイツ語のハンデをカバーするために、これらをほとんど丸暗記しました。)
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- *一般学科試験
- 受講終了後に2日間に渡って行われました。
- ・マークシート試験
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各分野ごとに100〜200設問が出されました。合計では1000設問弱は合ったと記憶しています。試験直前に計算したところ、1設問あたり20秒くらいで答えていかなければならないほどのハードな問題です。ドイツ語で悩んでいる暇はありませんでした。
私はこれに対しては対応済みで、「重要単語と答え」との傾向を問題集から抜き取り、ドイツ語自体を読まずに回答していきましたから、この試験においては成績はかなり良かったです。逆に「文章」を読めるドイツ人の方が、時間が足りなくなって回答できていませんでした。
- ・記述試験
- 各分野で、A4用紙1枚くらい(4〜5問)の内容。
- ・簿記試験
- たくさんの取引内容を読み、それを仕訳して、帳簿に付けて集計するという作業です。これも時間との戦いの、ハードな試験でした。ただ、これは講習時にびっしりと練習をしていた事ですので、日本人の私としては「ドイツ語」にとらわれない比較的やりやすい試験でしたが・・。
- ・口頭試問
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専門科目の口頭試問と違い、とても厳しかったです。5人のグループ形式で質問されるのですが、私は質問の意味が理解できずに言葉に詰まってしまったために、即、「試験続行不可」とされてしまいました。ショックでした。
後日、商工会議所に出向いてこの科目の追試を行ったのですが、2人の試験官が私一人に向かって、無駄話し無しでびっしり30分間も質問し続けるのです。この時は相手が私一人だったために、私が言葉には詰まるが内容は理解できているということをわかってもらって、どうにかこの試験を乗り切ることができました。しかし、この容赦ない試験には驚きましたが、今となってはいい想い出です。
脚注
2000年7月現在における、在日本のドイツ・ヴァイオリン製作マイスター
無量塔藏六、園田信博、杉山和良、矢箆原誠、山田聖、佐々木朗、庄司昌仁(マイスター資格取得順)
- 最後に
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私が様々な職種の受講者と共にマイスター試験の受講をして驚いたのは、彼らの意識、やる気の高さです。大学の集中講義なら数日で教室はガラガラになりそうなところ、最後まで教室を抜け出す人は少人数でした。日本では「職人=非知的」と、無意識に思っている人も多いと思いますが、「ドイツの職人(マイスター)にはバカではなれないな」というのが私の率直な感想です。それも当然です。というのはマイスターとはすなわち経営者と等しい言葉でもあるからです。手に技術を持っているだけでは経営者としては通用しません。これは逆に言えば、日本の職人の方々も、全く同じ資質を持っているのです。
この、マイスター受験を通して、私はドイツの社会の仕組み、そして職人のプライドを見た思いがします。