カリウムシリカート(水ガラス)について

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

このレポートは1990.6.15、東京ヴァイオリン製作学校在籍中に書いたものです。


 19世紀頃から、化学薬品によりヴァイオリンの木材を改良しようという試みは数多くされ、水素化合物のカリウムや重クロム酸カリウム等の色々な化学物質(注1)が、木材の染色に使われてきた。しかし、およそ100年経った現在では、そのような処理を行った木材はヴァイオリンを傷めてしまっているということが経験的にわかっている。一方、カリウム・シリカート水溶液を木材に塗り、その強度を増す方法も以外と古くから知られている。この方法が引き起こす悪影響の有無に対する定説は現在のところまだなく、現時点において、この方法を利用している製作者も多いと考えられる。
 カリウムシリカートが、現時点のヴァイオリン製作における主要な化学処理であることは間違いないので、我々は知識としてカリウムシリカートの科学的性質やその組成を知る必要がある。なぜならば、製作者の科学的知識の向上により、過去に重クロム酸カリウム等で犯した誤ちを繰り返す危険性が少しでも減るからである。

1・カリウムシリカート(水ガラス)とは
 カリウムシリカートは水ガラスの一種である。水ガラスは、アルカリ−ケイ酸系ガラスの濃厚水溶液をいい、ケイ酸アルカリガラス個体を無水水ガラスまたは単に水ガラスとよぶこともある。SiO2:Na2O(またはK2O)比が2:1ないし4:1の含水ケイ酸ナトリウムを主体とするアメ状のアルカリ性粘稠液で、水を放出して固化する。普通は、ナトリウムを含んだ水ガラス(ナトリウムシリカート)のことをいうが、ヴァイオリン製作においてはカリウムを含んだもの(カリウムシリカート)が有名である。この理由は、ストラディヴァリのヴァイオリンにおいて、カリウムシリカートらしきものが発見されたからと考えられ(注2)、ナトリウムシリカートと比べて特に有効性があるとは思えない。
 水ガラス自体の歴史は古く、中世期には錬金術にすでに使われ、1800年代以降には防火材用として工業的に使用されていた。その後、段ボール、合板などの接着剤として大量使用され、知られている。
2・水ガラスの製法
1)乾式法

 ケイ砂とソーダ灰との混合物を加熱溶解(1300〜1500℃)して、ガラスをつくる。その生成物を低圧オートクレーブで処理して水溶液とする。ソーダ灰の代わりに、ホウ硝とコークスとを使うこともできる。

2)湿式法

 コロイド質ケイ酸またはケイソウ土とカセイソーダとをオートクレーブ中で加熱、反応、溶解させる。

3・カリウムシリカートの性質
 無水水ガラスは、転移温度約400℃のガラスで水に溶ける。この時Na2O(またはK2O)が多いほど溶け易い。液中でケイ酸分が安定に存在しうるのは、水和Na+が OHのついたケイ酸イオンの縮合を妨害するためと考えられる。
 色は無く、アメ状の粘りけのあるアルカリ性の化合物で、空気中に放置するとCO2を吸収して強い接着力を示す(水を放出して固化する)。酸により加水分解し、ゲル状ケイ酸が沈澱する。また各種金属塩と反応し、溶液中で着色した沈澱がコケ状に成長する。水ガラスから水分を蒸発させるか、または無水水ガラスと水少量とを加熱すると和水水ガラスができる。これは個体で、割れ難く弾性を持つ。水分10〜30%
4・一般的用途
 洗剤、洗浄剤、浸透剤、媒染剤、接着剤、土壌硬化剤、防火剤、耐火セメント原料、硬水軟化剤原料、シリカゲル製造用、その他
5・ヴァイオリン用木材への効果
 これまでの科学的性質をまとめると、カリウムシリカート(水ガラス)は木材の化学的変化を引き起こして強度を強めるのではなく、それ自身が固化して、その結果木材中のリグニン−セルロース−ヘミセルロースどうしを強く結び付けると考えられる。すなわち木材のシュパヌングが増すことになる。実際水ガラスはセメントの化学成分と非常に似ており、その効果もセメントを木材に塗り込むのに近い感覚となる。
 従って木材の性質を「化学的」に変化させるのと異なり、「物理的」にダイレクトに変化させるために効果は大きいと考えられる。以前、私の行った実験(注3)でも、その効果は確実に現れている。しかし、たとえ強度がいくら増しても、その質量が大きくなりすぎるとメリットはなくなってしまう。例えば、瞬間接着剤を駒に浸透させる実験(注4)では、駒の強度が増したにもかかわらずその質量も増えすぎてしまったために、好結果は得られなかった。このように木材の強度が単純に好結果につながるとは限らないのである。これら、有効性、または非有効性かは、これからの経験や実験によって確認するしかない。
6・ヴァイオリンへの悪影響
 これは最も重要なことである。木材中のセルロースは一般に酸よりもアルカリに強い。従ってカリウムシリカートは、重クロム酸カリウム等の酸性物質のような強い悪影響は起こしにくいと考えられるが、いくつかの要因が重なることによって、セルロースのアルカリ崩壊が起こることも知られている。従って、カリウムシリカートが木材に悪影響を及ぼさないともいいきれないのである。例えば Joseph Nagyvaryは、初期にカリウムシリカート処理をしたヴァイオリンにおいて悪影響がみられると言いきっているほどで、我々も使用するに当たっては、覚悟をして使用すべきである。

注釈
注1:その他に過マンガン酸カリウム、硝酸による処理などが有名
注2:Sacconiのストラディヴァリの研究論文が、カリウムシリカートのヴァイオリン製作への応用を世界的に広めた起源と考えられる。
注3:佐々木朗 「ヴァイオリンの音響実験 13. 14」
注4:佐々木朗 「ヴァイオリンの音響実験 8」


参考文献 
共立出版株式会社 「化学大辞典」
日本材料学会木質材料部門委員会編工業出版 「木材工学辞典」
THE STRADより Joseph Nagyvary著 "Chemical of Stradivari"
宇田川、柳田、須藤著 講談社サイエンティフィク 「ファインケミカルズとしての無機ケイ素化合物」