騒音大国日本 〜 これからの日本人の耳は大丈夫なのか

2006.7.24 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

日本人の感覚
 私は子供の頃に、「日本人は虫の鳴き声や風鈴の音にも風情を感じる、豊かな聴感覚をもっている」という事をよくあちこちで教わりました。そして自分たち日本人の耳の感覚に、疑いない自信を持っていたのです。しかし、最近それに疑問を持つようになってきました。「日本人って、耳の感覚はものすごく鈍感なのではないだろうか」、と。
ドイツ(ヨーロッパ)と日本の違い
 私がドイツに住んで最初に感じたのは、「静か」ということでした。もちろん車は多いですし、街には人混みもあります。ヨーロッパに住んでいると直にその「静かさ」にも慣れてしまい、それが普通になっていました。
 しかし、日本に帰国して驚きました。成田に着いた時点からうるさいのです。エスカレーターでは「黄色い線の内側に乗って、お子様の手を繋いで、手すりにつかまって・・・」とか、列車のホームのベル・チャイムの音や駅員の音、喫茶店に入ったら入ったで聴きたくもないBGMがガンガン。街を歩けば商店が外に向かってマイクで呼び込みをしていたり、大音量で音楽を流している。大型電気店に入っても、各売り場コーナーでそれぞれにガンガンと音を立てている。ほんと、「よけいなお世話」です。

 私は帰国直後には、その騒音のおかげで頭がおかしくなりそうでした。今は慣れてしまいましたが、逆に慣れてしまった自分の聴感覚の鈍化を恐ろしく思います。私は耳を商売としていますので、これで良いのかという疑問を常日頃持っています。また音楽家を含む、同じ日本人の聴感覚の鈍化も心配です。
無責任さ
 この騒音大国日本の、騒音の原因がどこにあるのかを私なりに考えてみました。そうすると行き着くところ、「個人と社会の無責任さ」にたどり着きます。例えばエスカレーターでは先に書いたような「しつこいアナウンス」が延々と流れてします。設置側(エスカレーター会社?)はこれで何かあったときの注意責任は果たしたと言うことでしょう。しかし本当の注意意識とは、延々と垂れ流されていて慢性化しているアナウンスからは生まれません。逆に騒音になってしまい、重要な危険察知感覚を鈍らせてしまうくらいです。
 一方、エスカレーターに乗る側も、自分の不注意を棚に上げて会社側に押しつける人が多いことでしょう。子供達が危険な乗り方をしていてもいっこうに注意しようとしない親がいかに多いことか・・・。そのような親は、何かあったときに真っ先に設置側を訴えるのでしょう。悪循環です。

 私がドイツに住んでいたときに驚いたのは、ロープウェイから降りた山頂の断崖絶壁(観光客が普通に訪れるところです)に、注意看板も柵も無いことでした。すなわち「個人の責任」という事が常識化されているのです。駅のホームでも、けたたましいベルや下品な電子音楽は流れません。「ゴーン」というベル(鐘)の音が控えめに一回鳴るだけなのです。ホームでの安全(ホームから飛び出さないとか)も、列車の到着、出発時刻も、本人が責任持って管理するべき事なのです。実際、静かな方が危機管理感覚は高まります。

 繁華街では各店舗がガンガンとBGMを流しています。あんな暴力的な大きな音で、客が喜ぶと思っているのでしょうか?それとも聴感覚が鈍くなった若い子は、そのくらいでないと反応しないのでしょうか・・・?。悲しいことです。最近では売り歩きの焼き芋屋、豆腐屋、物干し竿屋なども拡声器で大声を張り上げています。いったい、何100m先の客を相手にしているのでしょうか?目の前の客(これこそが商品を買ってくれる客なのに)の騒音迷惑を考えていないのでしょうか?
 このような騒音に対して、役所も及び腰です。下手な騒音規制をしようとすると「言論の自由、表現の自由の侵害」だと言われてしまうからなのでしょう。言論・表現の自由と騒音とは全く別物なのに・・・。自分さえ良ければそれでよいと思う企業(商店も含む)のいかに多いことか・・・。
日本人の聴感覚の鈍化をくい止めなければ
 私も含めて音楽に関わっている人間にとって、耳の感覚が重要です。現在の「騒音大国日本」では聴感覚は急激に鈍化し、弦楽器の音色に関しても騒がしく刺激的なものが好まれているように思います。品のある音を感じる能力が欠けてきているのでしょうか。これはオーディオ製品に関しても言えます。安物で、しかし刺激的な音(ドンシャリ音)の製品がいかに多いか・・。また、電車の中でヘッドフォンステレオを周りに迷惑なくらいのガンガンな音で聴いている若者も、その耳は難聴になっているのは明かです。難聴でなければあんな大音量では聴けないはずなのです(注1)

 我々の素晴らしい音楽環境、そして音楽感覚を守るためにも、この騒音大国日本を改善しなければなりません。そのために必要なのは「個人と社会の責任」、そして「騒音に対する教育」の充実です。このまま「無責任日本」がさらに進行してしまうことを考えると、恐ろしくなってしまいます。


 現在の我々日本人に、鈴虫や風鈴の音を感じる能力や余裕は、まだ残っているのでしょうか・・・・?




注1:私が音響研究でアドバイスをもらっていた故西巻先生も、乗り物の中でヘッドフォンステレオを聴くことの悪影響を忠告していました。我々耳を商売にするような人間は、絶対にやってはいけないことだとさえ言っていたのです。
 具体的に言うと、電車内、街中などの騒音のある場所でヘッドフォンステレオを聴こうとすると、どうしてもその外環境の騒音に負けない大きな音量でついつい聴いてしまうということらしいのです。そうすると耳にストレスがかかり、難聴になってしまうそうです。
 これを防ぐためには密閉型のヘッドフォン(大型で、それを装着すると外の騒音が聞こえなくなるくらいのもの)を使うか、またはノイズキャンセル機能をもつヘッドフォン、またはカナルタイプと言って耳栓のような耳にピッタリと合うタイプ(ただし、自分の耳孔に合わせた特注でもしない限り、このタイプの効果は低いです)を使うべきなのですが、そのようなヘッドフォンを使っている人はほんのわずかです。

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