マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:楽器の裏板はどのような役割を果たしているのですか?

:楽器の裏板の振動特性に関しては色々な情報が流れています。そして、その多くは裏板を「発音振動板」として捉えられています。しかし私の考えでは、裏板の本質は、表板を振動させるための「土台」です。もちろん裏板も振動している以上は音を発します、しかし表板の振幅に比べると小さいということ、また、裏板の面が聴衆の方向に向いていないのでダイレクトに音が伝わらない等、裏板の影響力は表板の影響に比べると小さいのです。従って裏板が発する音に集中しすぎると(もちろん重要ではありますが)、本質を見逃してしまうのです。

「感覚的な音量」と「絶対音量」
 ここでは話を簡単にするために、エネルギーのロス(摩擦熱)は無いと考えます。すると、弦楽器がどのような構造をしていても音のエネルギーは同じとなるはずです(もちろん、単純に考えた場合の話です)。これは「総スペクトラムの和は一定」という考え方です。すなわち、音のエネルギーが「大きい」「小さい」という単純な考察ではなく、どの周波数帯の音域が出ているかを考えることこそが重要なのです。
 事実、人間の聴力は絶対的な音圧(音量)に関してはかなり鈍感なのです。従って絶対音圧の少々の大小では、違いは感じないでしょう。一方、音の倍音成分の「周波数分布」に関しては非常に敏感です。そこで、認識しやすい周波数帯の音、または違和感(嫌悪感)のある音などに敏感に反応して、それを音の大きさと感じるのです。従って、感じた音の大きさが絶対的な音量であるとは言えないのです。
楽器の周波数特性
 さて、もしも振動板である「表板」だけを単純化したものの極端な例は、単なる平板です。このような板を振動させると、非常に単純な低いモードしかなりません。「ボーン」という感じです。この音色は低いいくつかの倍音成分のみで構成されていると考えられます。しかしこれでは周波数成分が低すぎて、音は通りにくいのです。
 楽器で大切な要素の一つは、人間に聞こえやすい中音域〜中高音域(約1KHz弱〜5KHz位)の倍音成分を出すことです。このためにほとんど全ての楽器が改良されてきたことは、楽器の歴史を見ることで証明できます。
 弦楽器の場合には、表板に隆起をつけること、バスバーを付けること、魂柱の利用、張力の大きな弦を張ることなどによって、振動板の単純なモードを高い周波数成分へ、分散させているのです。
裏板の役割
 さて、ここで裏板の話です。もしも裏板が無く、表板だけの場合には先ほど書きましたように、表板は単純なモードしか持ちません。このような楽器では発音はしやすいのですが、モコモコとした音しか出ないのです。これでは一見音量はあるように感じるのですが、聴いている人には音が届きません。これを「箱鳴り」等という表現をします。
 そこで表板は魂柱によって(魂柱の役割はホームページの技術関連コーナーに書いていますので、そちらを読んでください)、裏板の助けを借りて、新しいモード特性に変化するのです。感じとしましては、裏板を土台、魂柱を支点として表板を強制振動させるのです。これによってとても高い倍音成分を発することがきます。
 この様に、表板の土台である裏板はしっかりとしていなければなりません。このために裏板には密度の高い広葉樹(楓など)が利用されるのです。もしも裏板も表板と同じ松材で作ったのなら、表板の強制振動に対して裏板まで振動してしまいます。これでは土台の役割は果たせず、表板の振動を矯正できなくなってしまうのです。
 以前スピーカーの設計をする人と話をしたことがあるのですが、そこでも似たような話が出ました。すなわちスピーカーの振動板を理想的にドライブするためには、キャビネット(裏板、側板等)が振動するようでは困るとのことです。これはまさに私が考える弦楽器の発音構造の基礎と同じです。
 余談ですがスピーカーの場合にも、キャビネットが全く振動しないということはあり得ません。従ってその微妙な振動が音色に加わって、各スピーカーの個性に繋がっています。

 さて裏板が「土台」であるべきとは書きましたが、もしもこれが完全な土台であるならば、今度は低い(または中音域)の音は発しません。例えば厚さ1mのコンクリートの裏板を想像していただければ良いと思います。このような低い振動数で振動しない裏板と魂柱で結びついた表板は、決して低い倍音を発しません。これではやはり人間の耳に聞こえにくい発音となってしまうのです。
 すなわち、裏板の「土台」度合いは、「程良いくらい」が良いのです。これは経験によって、材質は広葉樹(美観の面で楓が用いられます)、そしてその厚みも定まったのです。

 話はコントラバスになります。バスの場合、裏板には隆起タイプと平面タイプがあります。実際には中に張り付けてあるシュパヌング板の影響などもあり、そう簡単な話ではないのですが、理論的には平面裏板の方が発音のしやすい柔らかい音のバスになるはずです。しかし欠点としては、音が通りにくいということです。ソリスティックな音色にはなりにくくなるでしょう。
 逆の事を言えば、バスにだけ平板の裏板構造が残っているのは、「(柔らかな)低音」を売り物にしているバスだからなのです。モダン・チェロではこの構造は通用しません。

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