マイスターのQ&A
ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
Q:弓の選び方を教えて下さい。
A:これはとても重要です。良い弓を選ぶか、そうでないかで、その後の演奏技術に与える影響はまるで違ってくるからです。弓の性能は、演奏技術に直接関わってくるからです。ある意味では、楽器を選ぶ以上に重要なことなのです。このように難しい弓の選び方ですが、「論理的」な選び方さえ修得すれば、楽器を選ぶ以上に簡単とさえも言えるかもしれません。
ちなみに、下記の弓の選び方はヴァイオリンからチェロ、バスに至るまで基本的な内容は共通です。
- 選び方の実際〜準備
1: 信頼できる楽器店を選ぶ
- これが何よりも重要なことです。そして一番難しいのはこの事です。今回はこの部分に関しての説明をあえて省略しますが、この内容が基礎となることだけはいつも忘れないでください。「弓を選ぶのではなく、楽器店を選ぶ」事こそが、良い弓を選ぶもっとも近道であることは間違いのないことです。
- 2: 現在自分が使っている弓を持参する
- 次に購入する弓の性能は、現在自分が使っている弓の実性能(価格ではありません)が基準となります。従って、現在使っている弓と弾き比べることによって、次に購入する弓の性能を客観的に判断できるようになるのです。
- 3: 2まわり性能の高い弓を選ぶ
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購入する弓の性能は、現在の弓の2まわり(以上)は性能が高いものでなければなりません。というのは、1まわり程度の性能差では、高いお金を出して購入した割には、後日、その性能差を実感できないからです。
すなわち、現在の弓の実性能がそこまで悪くなく、そして次の弓の購入予算が限られているような場合には、「今回は購入しない」という勇気も必要なのです。
- 4: 予算をきっちりと決める
- 楽器店で多くの弓を目の前にすると、自分の中の選択基準がパニックをおこしてしまいます。その上、楽器店によっては、上手な話術によってわざと高価な弓や楽器を売ろうとする所もあります。人間は面白いもので、自分が僅かに手の届かない範囲の製品を、とても良く感じるものです。これは特に、先のように「判断基準」があやふやになっている時にそう感じてしまいます。逆の事を言えば、これは「商売(軽蔑的な意味で)」のテクニックでもあるのです。冷静な判断基準を失った状態で購入した、このような「高価な製品」は、まともであるためしはありません。
すなわち、自分の予算をきっちりと決めることにより(もちろんある程度の幅はありますが)、自分の冷静さを保つことができるのです。もちろん、この予算を決める上で、事前にその楽器店にて、どのくらいの予算が必要なのかを相談しておくことが前提となります。当然、これには現在使っている弓の性能が基準となります。
- 5: 性能の良い弓とは何かを、論理的に把握する
- これが大切です。すなわち、この事が理解できていなくては、性能を製品価格でしか判断できないからです。当然ですが、製品の価格と実性能は簡単に比例するものではありません。特に高価な弓ほど価格と実性能とが簡単に比例するわけではないという実情をしっかりと把握すべきです。逆に言えば、「性能」の本質が判っている人は、良い弓を選ぶことはさほど難しいことではないとさえ言えるのです。
さて、弓の性能の要素を書いてみましょう。弓の構造がシンプルな分だけ、要素自体もシンプルです。すなわち、これがヴァイオリン本体を選ぶのよりも選択基準が簡単だという理由です。
・弓竿の材質(腰の強さ)
弓の性能を考える上で、この要素が最も重要です。すなわち、弓の性能のほとんどは、この弓竿の材質で決まると言っても過言ではないのです。さて、弓竿材質の性能とは、「強い」という事です。「腰がある」とも言えます。逆に言えば、腰の弱い弓では、いくらバランス等の他の性能要素が良くても、良い弓とは言えないのです。
・製作精度
これは専門的な技術内容ですから、プロの演奏者も含め、一般の方には見分けることは不可能です。この要素に関しては、自分自身の「何となく綺麗な製品」という第一印象に任せるべきでしょう。大体は、その印象というのは的を射ているものです。または、その楽器店の専門家としてアドバイスを信頼するしかありません。
・重さ
ここでいう「重さ」とは、測りで測った重さのことではありません。というのは、弓の材質、製作の特徴、バランスなどによっては、同じ重さの弓でもまるで異なって感じるからです。すなわち、弓の重さを測りで測定するようではいけないのです。自分の感覚こそが、真の意味での「重さ」です。私の工房では、あえて弓の重さを測定して「何グラムの弓」とは言わないようにしているくらいです。その方が、「弓の性能の本質」に迫れるからなのです。
この重さに関しては、難しく考える必要はありません。持ってみて、「あまりにも重い弓、軽い弓は却下」くらいに考えておけばよいでしょう。
・バランス
弓のバランスとは重心位置だけで決まるような単純なものではありません。弓の製作者によって(または個々の弓において)、弓竿のどの部分に肉が付いているのかが異なり、それによって弓の運動時に圧力のかかり具合が異なってくるのです。すなわち、自分の奏法にあったバランスの弓でなければ、弓が飛び跳ねてしまうなどの違和感が出てしまいます。
このように重要な要素の「バランス」要素ですが、注意が必要です。多くの方が、弓を選ぶまず第一にこのバランス性能を考えているからです。しかし、このバランス性能要素とは、「弓竿の強さ」という要素の上に初めて成り立つものだからです。
・価格
この要素は説明するまでもないでしょう。「コストパフォーマンス」という表現をしても良いと思います。
・健康度
古い弓の場合にはこの要素も大切です。壊れかけている弓では、後にトラブルが起きる可能性も大きいですし、理想的な毛替え作業も行えない可能性もあるくらいなのです。私は古い弓自体を否定するつもりはありませんが、不健康な古い弓があまりにも多い(特に高価な弓で)という実情を理解しておくべきでしょう。
- 選び方の実際〜選択手順
6: 弓竿の強さを知る
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先にも述べましたように、弓を選ぶ上で最も重要なのはバランスではなく弓竿の強度を知ることです。
弓竿の材質を見極める時、我々専門家はフェルナンブコ材(弓竿材)の木肌や繊維の詰まり具合を見たり、弓を僅かに曲げてみて、その材料の性能を見分けることができます。しかし、これはプロの演奏家を含め、一般の方々には不可能な技術です。そこで次のようにして弓竿の強度を調べてください。
・全ての弓を同じ毛の張りにする
全ての弓の毛の張り(弓竿と毛との距離)を同じにします。この時、毛を張りすぎないように注意してください。というのは、現在に使っている弓の性能が低いために、弓竿の腰が弱く、それに伴って弓毛をかなり張って演奏する癖が付いてしまっている方が多いからです。しかし、弓毛をパンパンに張ってしまっては、弓の性能差を見極めることができないばかりか、せっかくの良い弓の性能さえも出すことができないのです。
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- ・弓の中央部分で、弓を立て(斜めに寝かさない)、弓に圧力を掛けてみる
下写真のように、弓の中央部分を弦に当てて、弓を直角に立てた状態で(寝かさないようにして)、「クイクイ」と弓に圧力を掛けてみます。この時の「強さ」、「圧力」こそが弓竿の強さ、すなわち性能と言ってもよいものです。
各弓によってずいぶんと強さが異なっている事が簡単に判別できると思います。この時に、あまりにも腰の無い弓は無条件で却下してください。例えどんなに名前の知れている弓であっても、高価な弓であったとしても(またはお買い得な弓であったとしても)、この時に弓竿が弱いと判断した場合には、絶対に未練を持ってはいけません。それが最も大切なコツなのです。
この作業によって、沢山の弓を数本の候補に絞り込めることができるはずです。
- 7: 持ってみてあまりにも重すぎる弓を対象から外す
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いくら弓の腰がある強い弓でも、あまりにも太くて重すぎる場合には「却下」です。何度も述べますが、この要素は「何グラム」という数値ではありませんので勘違いをしないでください。当然、軽くて細い弓が良いというものでもありません。
- 8: 大きなボウイングをして弓のバランスを知る
- ここまでの選択により、腰の強い弓でしかし常識外れに重すぎない弓が候補として残っているはずです。これらはどれも製品としては良い弓のはずです。しかし、自分の奏法に合った弓でなければ、せっかくの良い弓であっても、その性能を発揮することはできません。
自分に合った弓かどうかを調べるには、できるだけ単純なボウイングをすることがコツです。全弓を使った大きなボウイングで、大きな音量(圧力を掛けて)弾くのです。スケールを弾いてもかまいませんし、ごくごく簡単な曲のパッセージを弾くのも良いでしょう。こうした単純な弓の運動は、自分自身の奏法との相性を確実に表現します。自分に合っていない弓は、例え良い弓であっても、弓運動の途中で弓が飛び跳ねてしまったり、または不安定になるからです。これは第三者が見ていても、すぐに判るはずです。その逆に、本人が実際に弾いていて、または第三者が見ていて違和感がない弓は、「合っている」と言えるのです。
くれぐれも、難しい練習曲を弾いたりしないでください。というのは難しい演奏内容というのは、弓の位置がわずか1mm違っただけでもうまく演奏できなくなります。従って、異なった弓で演奏するということは、今までとは若干異なった演奏の技術が必要になるということです。すなわち、曲自体にアップアップしている人が、その変化に対応することは難しいのです。簡単な例を挙げると、「パガニーニの曲が弾けない人に、パガニーニの曲で弓を判断することは不可能」という事です。
弓の基本的な性能、自分との相性は、基本的なボウイングで判ります。候補の弓を持って、いきなり練習曲を弾き始めるようではいけないのです(このような人はかなり多いのです)。
さて、この操作によってさらに弓は絞り込まれるはずです。おそらく1〜3本程度にはなっていると思います。
- 9: 跳ばしなどの、高度な演奏
- さて、この時点で初めて「跳ばし」、「曲のパッセージ」などの高度な技術を弾いてみるのです。それまでは弓の選択に複雑な要因を持ち込むことは良くありません。
このような高度な演奏技術との相性によって、さらに弓を絞り込みます。
- 10: 価格、弓の状態の再チェック
- この最後の最後の段階で、もう一度、候補に残っている弓の諸条件が自分の当初の予定通りなのかを冷静に考え直してみます。いざとなったら、「今回は一旦帰って冷静に考え直してみます」というくらいの勇気も必要なのです。もしも、楽器店の人が「今買わないと、売れてしまいますよ・・・」と言ったとしても、「もしもそうならば縁が無かったのだ」と思うくらいの勇気です。
- 11: 最終判断の基準とは、「何となくピンと来た、第一印象」
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さて、いよいよ最後の選択です。おそらくこの時点で、ほとんどの方は既に何となく印象に残っている1本があるはずです。そうです、それこそが最後に選ぶべき弓なのです。
弓を選ぶ最後の最後の段階で、あまり難しいことを考えてはいけません。特に、他人に対しての「見栄」が出てしまってはいけません。他人がその弓をどう思うか(どう評価するか)でなく、現在の自分がどれだけ納得して選んだのかこそが重要なのです。もしもこの時点で、そのような「不純な選択要素」が加わってしまっては、それまで行ってきた「基本的で、冷静な選択基準」が台無しになってしまうからです。
最後の1本に決定しなければならない時、もしもまだ迷いがあるのでしたら、「第一印象」が良かった弓を選ぶべきです。というのは、第一印象というのは純粋な意味での判断力が含まれているからです。「何となく良いと思った弓」こそが、ほとんどの場合、「的を射た選択」となっています。もちろん、これは、これまでに述べてきた「冷静で論理的な選択」を行った上での話であり、いきなり楽器店に行って、「何となく・・・」という話ではありませんので、その点は注意してください。
- 良い弓を購入することの勧め
- 最近では良質なフェルナンブコ材(弓竿材)が激減し、環境保護の対象になっています。最悪の場合には、近い将来に象牙のように輸入規制になる可能性さえあるくらいです。もちろん「輸入規制になる」と決定したわけではなく、将来にその可能性もあるという程度のものですが、それでも年々深刻化していることは事実です。
この場で私が、近い将来に良い弓が手に入らなくなると言うつもりは一切ありません。しかし、もしも現在、運良く良い弓に巡り会えたならば、積極的に購入しても損はないと思います。良質弓は楽器本体以上に年々価格が上がっているという現状もあるからです。
もちろん、焦って、変な(性能の低い)弓を購入を購入してしまっては本末転倒になってしまいますので、くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。
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