マイスターのQ&A
ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
Q:電子ヴァイオリンはどうですか?
A:最近はヤマハ社の「サイレントバイオリン」の影響で、電子ヴァイオリンに関して興味を持っている人がずいぶんと増えたようです。特に上記のヴァイオリンなどは、その作り、価格、音色など、とても良くできた製品だと思います。しかし、一般のヴァイオリンとの違いを適切に把握して使用しないと、演奏技術面などで不都合も生じますので、注意が必要なのです。
- 電子ヴァイオリンの種類
- 「電子ヴァイオリン」という言葉はこの場での造語であり、特に定まった呼び方はありません。「電気ヴァイオリン」、「エレクトリック・ヴァイオリンと言う場合もあります。これらには使用目的と構造によっていくつかの種類が存在しますので、正確な事をいうのならば、ひとまとめに考えるべきものではないかもしれません。
基本的には、電子ヴァイオリンは2種類に分けることができます。まず最初に挙げられるタイプは、一般的なヴァイオリンにピックアップ(振動増幅装置)を付けたものです。これはステージ等での拡声を目的としたもので、基本的な構造は一般的なヴァイオリンと変わるところはありません。異なっているのは、駒か表板にピックアップが付けられていることです。もっともポピュラーなのは、ジャズ演奏用のコントラバスになるでしょうか。この手の楽器は、一般的な楽器と構造、材料に変わったところはありませんが、その音に電気的な加工を施すという目的があるために、一般的楽器と比べると、楽器自体の音(品質)にこだわったものは少ないのが現状です。すなわち、楽器の質が若干低い場合が多いというのが特徴です。
次に挙げられるタイプは、「消音、または携帯性」を目的としたものです。すなわち楽器の響板を省略し、電気的な増幅と加工のみで音を出そうという考えの楽器です。冒頭で述べたサイレントバイオリンもこの種のタイプとなります。この手の電子楽器は響板が必要ないために、ほとんどネックと弦のみの単純な構造で、携帯性がよいという特徴を持っています。また最大の特徴は響板がないために、実音が出にくいという事でしょう(無音にはなりませんが)。すなわちヘッドフォン等を利用して演奏することによって、消音効果が期待できるのです。その他にも、構造が単純なために価格が安いということも大きなメリットでしょう。電子ヴァイオリンといえば、このタイプのヴァイオリンを指すと考えても良いと思います。この種の楽器は何もヤマハ社のサイレントバイオリンだけではなく、外国の弦楽器専門誌を見ると、実に数多くのメーカーが製作しているという事に気が付くことでしょう。
以後は、この種の響板を持たないヴァイオリンのことを電子ヴァイオリンと呼ぶことにします。
Verlag Erwin Bochinsky社出版 書籍「Electric Violins」に掲載されている、数多くの電子ヴァイオリンの一部
- 電子ヴァイオリンを使うメリット
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最近の住居環境の影響や、または練習する時間の都合から、楽器の音に関しては日増しに神経質にならなければなりません。電子ヴァイオリンに興味を持っている方は、こういった目的の方がほとんどのことでしょう。確かにこれは重要なことです。練習環境面でどうしても音を出せないならば、こういった楽器の利用は効果的です。
またこれからヴァイオリンを習い始めようとする人が、価格的にも、騒音の面でも手を出しやすいこの種の電子ヴァイオリンに興味を持つことも自然なことでしょう。この点に関して、私は否定的なことを言うつもりはありません。ただし、注意する点があることも事実なのです。
次には一般的なヴァイオリンと、電子ヴァイオリンとの違い、使用上の注意点を書いてみましょう。
- 音色・発音の違い
- 電子ヴァイオリンは仕組みの違いによって若干の違いはありますが、弦の振動を直接的にピックアップで拾い、それを電気的に増幅してスピーカー(またはヘッドフォン)を鳴らしています。もちろん、電気的に残響音を付け加えたり、音色の微調整をしたりして実際のヴァイオリンの音色に近づけようとしているメーカーの努力は認められるのですが、それでも根本的な事が違うというのが私の感想です。というのは、ヘッドフォンから聞こえてくる電子ヴァイオリンの音は、他人の弾いているヴァイオリンの音のイメージだからです。ヴァイオリンは、楽器に密着している演奏者に聞こえてくる音と、ある程度離れて聞こえる音とでは音色が違います。しかし現在の電子ヴァイオリンからは、「自分で弾いている音」と「他人が弾いている音」のイメージが混同してしまっているのです。これは特にヘッドフォンを利用して演奏した場合に違和感を感じます。この辺りに関しては、ヴァイオリンの音色に関する基礎研究が重要になってきます。私が知る限りにおいては、ヴァイオリンのこのような基礎研究はあまり進んでいませんので、その分野の学術的、または民間企業の研究の充実を期待しています。そしてそれによって、電子ヴァイオリンの音色の違和感も改善されることを期待しましょう。
さて、電子ヴァイオリンにおいて、私がそれ以上に違和感を感じるのは、発音のレスポンスです。普通のヴァイオリンの場合には、弓で弦を振動させて直ぐに音が出るのではなく、楽器の胴体が共鳴して初めて音が出ます。すなわち、音が出るまでに僅かな時間差があるのです。しかしこれは、単なる発音の時間差だけではありません。楽器の胴体の共鳴は、弦の振動に跳ね返ってきて、それは最終的に弓に戻ってきます。すなわち、弓の運動に動的な負荷(機械インピーダンス)がかかるわけです。この微妙な演奏感覚の違いは、音色を電気的に加工しただけでは、原理的にどうしようもないことなのです。
すなわち、振動数が高くて波長の短い高音域(E線の音とか)の場合には、電子ヴァイオリンでもけっこうそうれっぽいのです。しかし楽器本体(胴体)が大きく振動する低音域(例えばG線の音とか)は、例え電子的に残響を付け加えても、倍音成分を電気的に操作して変化させても、音の出方が全く異なり大きな違和感になります。
- 電子ヴァイオリンで音程をとる難しさ
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様々な理由から、初心者がまず最初に電子ヴァイオリンから練習を始めることに対して、私は肯定も否定もするつもりはありません。メリットがあれば使用すべきでしょうし、またデメリットが大きければ使用すべきではありません。ただし、どちらであるにせよ、電子ヴァイオリンで演奏をする上での注意点だけは理解しなければならないでしょう。
私が一番注意しなければならないと考えているのは、その構造からくる音程のとりにくさの問題なのです。というのは、ヴァイオリンはギターやピアノとは異なり、フレットや鍵盤はついていません。すなわち、正しい音程を押さえる技術の習得が必要なのです。
まずは「ヴァイオリンにはフレットが付いていないが・・・」のQ&Aを読んでいただきたいのですが、すなわち、ヴァイオリンの正しい音程は弦の倍音振動、そして楽器の振動によって生じた「音程の節」によって生まれるのです。すなわち、音の良く鳴るツボを押さえることによって正しい音階を弾くことができるわけです。ヴァイオリンの音程は、ギターやピアノのように数学的(平均律)に決められているわけではなく、「楽器の振動」から生まれてくるものなのです(注1)。
さて、電子ヴァイオリンの場合には基本的に楽器の胴体は共鳴しません。このために楽器の胴体の共鳴や、開放弦の振動の影響をほとんど受けることができません。電子ヴァイオリンにおいて、「音階」の手助けとなる要因は、現在弾いている音の倍音成分だけになってしまうのです。しかしその中の非常に高い倍音成分の音を感じ取って、自分の頭の中に「音階」を作り出すことは、こと初心者にとってはあまりにも難しすぎる技術内容なのです。
さて話が難しくなってしまいましたので、簡単に説明し直してみましょう。普通のヴァイオリンは、楽器の胴体の振動や他の開放弦の振動などから、正しい音程がとりやすいというのに対して、電子ヴァイオリンで正しい音程を感じ取ることは非常に難しいという欠点を持ち合わせているという事です。これは特にヘッドフォンで演奏している場合に顕著です。
「初心者の練習と電子ヴァイオリン」という事を考えた場合、これはとても重要な問題です。そしてその事実を知らないまま練習を積み重ねると、演奏技術の大きな勘違いをしたまま、無駄な時間を費やしてしまうという可能性もでてしまうわけです。
- 電子ヴァイオリンは、ヴァイオリンの代わりになるか?
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まずは、このようなきわどい問いに入る前に、ある電子ヴァイオリンのメーカーの人の言った言葉を書くべきでしょう。それは、「自分たちは、ヴァイオリンと張り合うつもりでこの楽器を作ったわけではなく、新しい可能性のある全く別の楽器として作った」という内容のことを話していました。すなわち、これが答えです。
電子ヴァイオリンはあくまでもヴァイオリンではありません。ヴァイオリンと似た、しかし全く別の可能性を持った楽器なのです。従ってヴァイオリンの代わりとして演奏しようとすると、上記のような様々な弊害が出ることも間違いありません。しかしその一方で、冒頭で書きましたように、ヴァイオリンでは決してまねのできない特徴を持ち合わせていることも事実なのです。大切なのは、お互いを比べることではなく、欠点を適切に把握した上で、それでも自分にとって使用するメリットがあるかどうか・・・という事でしょう。電子ヴァイオリンはヴァイオリンの代わりには決してなりません。しかしその逆に、ヴァイオリンが電子ヴァイオリンの代わりにもならないのです。
- セッティング技術、付属品の程度の低さ
- これは電子ヴァイオリン自体の問題ではありませんが、電子ヴァイオリンを観察すると指板や駒のセッティングがいい加減の場合がほとんどなのです。この理由は、「電子ヴァイオリン」という製品上、購入後の調整が必要ないと思っている演奏者が多いということと、もう一つは、ヴァイオリンの専門技術者が高度の調整を施した上で販売しているわけではないということによります。
電子ヴァイオリンも正しい指板、駒調整、弦の選択によって楽器の弾き易さはまるで違うものです。これは普通のヴァイオリンの場合と全く同じです。
次に言えることは、電子ヴァイオリンを使っている人の弓の品質です。これも質が低すぎる場合がほとんどなのです。こと弓に関しては、電子ヴァイオリンも普通のヴァイオリンも全く同じです。しかし電子ヴァイオリンの本体価格が安いために、それに比例して弓まで程度の低い物を使っている人がほとんどです。この場で「良い弓」の事について説明することはしませんが、電子ヴァイオリンにおいても「良い弓(価格のことではありません)」で弾かなければ、正しい演奏、そして演奏技術の向上は見込めないのです。
注1:これは完璧な意味での純正調の音程が出るという話をしているわけではありません。というのは、弦楽器の各弦は完全な五度のチューニングはしないからです。そしてそのチューニングによる開放弦との共鳴によって生じた「音程の節」は、完璧な意味での純正調からはずれています。しかし平均律と比べた場合、誤差の範囲で「純正律」といっても良いと思います。
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