マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:製作精度の高い楽器が壊れにくいというのは、なぜですか?

A:これまで何度も述べてきましたように、良い楽器とは現時点での音だけで決まるわけではありません。というのは、楽器とはメンテナンスや修理を繰り返しながら、最低でも数年、長い場合には数十年から代を越えて100年以上の期間も使い続けるからです。この様な視点から眺めた場合、購入する時点での音だけでは、良い楽器を決して選ぶことはできません。この様に、良い楽器を選ぶ上では「時間軸」も含めた上で考えなければならないのです。「予測できる将来的な性能」とは、すなわち「現時点での性能」なのです。
 さて、この様に楽器の性能変化の時間軸について考える場合、「楽器の考え方の原点」に立ち返るべきなのです。すなわち「木材の性能の経年変化」と「楽器の機械的性能劣化の経年変化」の二要素に分けて考えることです。今回のご質問は、この中の後者と密接に関わっています。
 楽器の機械的性能の劣化、すなわち楽器の壊れ度合いを決める要素はいくつかあります。詳しくはQ&Aの「楽器の性能」や「見ただけで良い楽器は分かるか」などに書いていますので、そちらを読んでいただきたいのですが、その中の要素の一つとして、「製作精度」があります。今回はこの「製作精度と楽器の壊れにくさ」についてのみ考えてみましょう。

加工技術の精度と楽器の傷み度合い
 製作の加工精度は、各楽器において様々です。一般の方にもその技術の程度の低さが分かるようなものは、目も当てられないほど酷い精度のものなのです。この様な物は論外です。しかし、一般の方が見ても分からないほどの製作精度の違いでも、それは長年の間に大きく影響を及ぼします。逆に言えば、短期間においては、精度の高い製作楽器も、製作程度の低い楽器も、その意味においてはさほど差は出ないものなのです。
 さて、弦楽器にはエネルギーの損失を押さえながら、効率良く響板を振動させることが求められます。これによって大きな音量、張りがあり遠くまで通る音色(しかし耳障りでない)、そしてバランスの良い音を出すことができるのです。このためには振動板は必要な範囲で薄くなければなりません(もちろん薄すぎてはなりません)。一方、ヴァイオリン族の張力は、その構造(または楽器の質量)からすると、とても大きいのです。すなわち弦楽器とは非常に過酷な楽器なのです。
 製作精度の高い楽器の場合、響板の隆起の滑らかさ、そして響板の厚みの変化がミクロン単位で滑らかなのです。これによって駒(弦)から加わる大きな圧力を響板全体に分散させることができるのです。これが精度の高い楽器の秘密です。例えば、下の写真を見てください。これは郵便葉書を曲げただけの特に珍しくもない写真です。しかしよくよく見直してください。これだけ薄い紙が折れていないのです。これは葉書の紙厚が均一のために、折り曲げた力が葉書全体に分散されたために、一部分に破壊的な力が集中しなかったためです。これは原理的に、高い精度の楽器と共通しているのです。
 一方、もしも隆起に微妙な不連続性があった場合、または板の厚みに不連続性があった場合には(もちろん一般の方が目で確認できるものではありません)、作られてすぐにはそれが原因で音が悪いということはありません。それどころか、板の厚みに欠陥的な部分(薄すぎるとか)があった方が、音に「暴れ」が出て特徴的なために、好感を持つ人も少なくないのです。しかし長年の間にこの部分に力が掛かってしまい、結果的に楽器に歪みが出てきます。こうなってしまうと、明らかに音にも悪影響が出てしまうのです。
 製作精度の高い楽器は長い期間においてという前提ではありますが、確実に「性能」を持ち合わせています。さて、それではこの「長い期間」とはどの程度の期間なのでしょうか?それは当然100年、200年というように、長い時間が経てば経つほど、その違いは明らかになるのですが、しかし5年間くらいでも微妙ではありますが確実にその違いは出ます。

精度の高い楽器をどのように見分けるか
 もちろん「精度の高い」と言っても、楽器の価格帯によってもその精度の高さの求めるレベルは違ってきます。そして響板の厚みなどは、外からは見ることさえ不可能です。この様な場合には、「それ以外の目に見える部分の作り」で判断するしかありません。まずは「綺麗な楽器(ニスだけの意味ではありません)」を素直な目で見ることが大切なのです。
 楽器を選ぶときに、まず最初にラベル(または鑑定書)が気になるようでしたらスタートライン自体が間違っています。
このような選び方には「人に対する見栄」が入っているからです。人に対する見栄を捨て、自分自身の素直な目で、楽器そのものを見つめることこそが大切です。そのような選び方をすれば、自然と「精度の高い楽器」は選んでいるものです。

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