マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:f孔の形は、なぜ「f」字なのですか?

A:f孔の形は、ヴァイオリンを象徴するほどに特徴的で、また美しいデザインをしています。今となっては、「f」字の形でない共鳴孔を持ったヴァイオリンは、ヴァイオリンとは思えないほど、このf孔はヴァイオリン族にとって重要な役割を持っています。
 さて、f孔がなぜ「f」字の形をしているのか、決定的な理由を私は知りません。ただ、共鳴孔の形に関するいくつかの重要な要素があり、それを満たすために長年試行錯誤をしている中で、このような美しい形に収まったのではないかと、私は考えています。f孔について説明する前に、まずは、様々な形の共鳴孔を挙げてみましょう。図の上段はシンプルなタイプの共鳴孔で、「C」字形から現代の「f」字形になるまでの過渡期の共鳴孔を伺い知ることができます(時代と共に、このように移り変わったわけではありません)。一方下段は、バリトンやヴィオラ・ダ・ブラッチョなどに用いられる装飾的な要素の強い共鳴孔です。

強度的な要素
 「f」字の形をした共鳴孔が一般的になる前は、「C」字孔が一般的でした。これは現在でもガンバ族などの楽器に引き継がれている共鳴孔の形です。また、古い絵画の中に登場する弦楽器においても頻繁に見受けられます。ある意味ではこの形の共鳴孔も、洗練され完成された形と言ってもよいかもしれません。ところがこのC孔は、「C」の内側(楽器の周辺側)において木目が目切れてしまうため、その部分が強度的に極度に弱くなってしまう欠点があります。これは胴体中央部が大きくくびれたヴァイオリン族においては、ますます強度不足になり深刻な問題になってしまうのです。
 この共鳴孔の強度的な短所を補うために、色々な形の共鳴孔が考えられました。そして、共鳴孔の力の掛かる部分を左右に分散させる「f」形状の共鳴孔が生み出されたのです。

駒の位置の目印
 「f」孔の素晴らしいところは、共鳴孔の中央部分に横の「刻み」がついていることです。この部分が駒の位置を指し示す働きを持っているのです。駒の位置は、楽器の設計、調整の上で基礎となる非常に重要なポイントです。従って、f孔に付いている「刻み」によって駒の位置を明確にすることができるのです。
 もちろん駒の位置の目印でしたら、どの様なデザインの共鳴孔にも付けることができます。しかし「f」孔の素晴らしいところは、既存の「f」のデザインに実機能を割り当てたことです。これによって、とても重要な役割の「刻み」も仰々しい存在感とならず、じつにスマートなのです。
魂柱調整のしやすさ
 共鳴孔には様々なデザインのものがありますが、共鳴孔から調整棒を差し込んで魂柱を調整する必要上、どうしても共鳴孔の中央部分の幅が広くなくてはなりません。例えば、次の図の共鳴孔はヴァイオリンのものと、バリトンという古楽器の共鳴孔です。このバリトンの共鳴孔はデザイン的に凝ってはいるのですが(好き嫌いは別として)、実際に私がこの楽器を製作して、魂柱調整などをして感じたのは、「実用的な形ではないなあ」という事でした。魂柱を立てたり、調整したりをしにくいのです。このように、共鳴孔の形はデザインや強度的な意味だけで決まっているわけではないのです。

音響的な要素
 ヴァイオリンのf孔には、音響的な意味も含まれていると考えられます。この部分に関しては、私自身、詳しい音響研究をしたわけではありませんので、現時点でははっきりとしたことは言えません。しかし、これまでに私が行った簡単な音響実験や技術的な経験から、ある程度の仮説は立てることができます。ここではそれを書いてみることにしましょう。
 ヴァイオリンの胴体中央部(くびれている部分)は、「急激な隆起」、「中央部分の板厚」、「横板がC字に逆反りされることによる構造的強さ」、「内部ブロック」、「幅の狭さ」等によって、構造的に非常に強いのです。これはヴァイオリンの明るい音(高い倍音声分)を出すための仕組みです。しかし、これだけでは比較的低い周波数帯域の音が出にくいのです。従って、鼻が詰まったような音色になると考えられるのです。そこでf孔の上端部を楽器の中央方向へ切り込みを入れることによって、高い周波数帯域にはあまり変化を及ぼさずに、低い周波数帯域が出やすくします。これによって、音色に余韻が生まれるのです。これは、f孔の「上部切り込みを埋める」という逆の実験によって、確認することができます。
デザイン的な要素
 上記のように、f孔の形には、きちんとしたいくつかの理由があります。しかし、「f」という形には、純粋な意味でのデザイン的な要素もあると私は考えます。というのは、ヴァイオリンのf孔をよく観察すると、「円」、「滑らかな曲線」、「鋭い角」、「直線」、「アクセントとなる刻み」等、単純な形の中にも様々な要素が含まれているのです。しかし驚くべき事は、それらの複雑な要素が、「f」という身近な文字記号と頭の中で重なることによって、実にスムーズに受け入れられるということなのです。
f孔自体は必要なのか
 さて、本題から若干外れてしまいますが、ヴァイオリンにとってf孔自体が必要不可欠なのかという基本的な疑問も浮かびます。
 これまでのf孔の重要性については、「f孔の大きさと胴体の容積によって決定された空洞共鳴が、楽器の音色の秘密である」というような表現を多く見ます。しかし、私はこの考え方には反対です。というのは、「チェロのヴォルフ音」の箇所にも書いていますように、空洞共鳴モードは低くまた単純な振動パターンのために、楽器の音色には大きな影響は及ぼさないからです。事実、私の行った「f孔を埋める実験」でも、決定的な意味での音色の変化はありませんでした。それどころか、もしもf孔無しの楽器を作ったとしても、けっこう「ヴァイオリンの音」はすると考えられます。聴衆が敏感に感じ取れる音色の周波数帯域は、f孔の大きさが影響する低い周波数帯域よりももっと高い側だからです。
 このように、f孔のわずかな「形」や「大きさ」の違いが、ヴァイオリンの音色の究極の秘密ということではありません。しかし、前記のような「地味な要因」が組合わさることこそが、f孔の秘密であり、重要性であると考えられるのです。

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