マイスターのQ&A
ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗
Q:よく、「楽器の価値」という言葉を耳にしますが、この意味を教えてください。
A:これはとても重要な内容です。そして私が一番、楽器ユーザー側の意識改革をしなければならないと思っている箇所なのです。なぜならば良い楽器を選ぶ上で、または楽器と付き合う上での根底に来る重要な内容だからです。
さて、このように「価値」という言葉の意味を把握した上で、弦楽器の話に進んでみましょう。
現在、弦楽器世界において氾濫している「価値」とは、少々言葉は悪いですが、19〜20世紀のヨーロッパの楽器商(売買のプロです)たちが、自分たちの持ち駒の値段をあげるために書いた著書からきています。具体的に言えば、もう手に入らない古い楽器の「価値づけ」を著した内容です。例えば、「再現できない古いニスの秘密」、「絶滅したクレモナ杉」、「古い木材」、「失われた技術」・・・等々。
ですからこれらの情報からきている「価値」を真に受けることは危険です。とくに一般の方々は、これらの著書のほんの一部分のみを読んで知識を身につけます。そうすると、特に偏った「価値」観が付いてしまうのです。例えば当時の楽器商の権威として「ヒル商会」と「ハンマ商会」が挙げられますが、彼らの著書を冷静に観察すると、同じ内容の事について全く違った結論が書かれています。これだけを見ても、それらの情報の不確定さが分かるでことしょう。しかし一方のみを見ると、それがまさに真理のように受け取ってしまうのです。これは現在においても、氾濫している情報の「流派」として残っているのです。
このように、「偏った情報」の上に「間違った価値観」をもって、楽器が取り扱われているのが現状といっても過言ではないと思うのです。このような状況の中では、単に値段が高い物が良いと思われたり、または生産国による偏見、古い楽器への執着、コストパフォーマンス(適度な価格設定)の無視・・・・等々、様々な弊害が生まれています。これらは残念ながら、値段の高い楽器(=上級者)ほど、深刻な状況にある場合が多いのです。
弦楽器と同じ高額商品には、家、自動車、美術品などが上げられます。このなかで弦楽器と同じ危機的状況にあるのは美術品関連でしょう。すなわち優秀なディーラー達が、「価値」という得体の知れないものを作り上げ、それを売買している世界です。
その一例として、私には「ゴッホ」が50億円というのがどうしても理解できないのです。そして私は、50億円で購入した人に限って、ゴッホの生前に彼の絵を評価しなかったのでは・・・と思ってしまいます。そしてその人は「現代のゴッホ達」にも目は向いていないことでしょう。
一方で、同じ高額商品でも正反対に、家や自動車においては変な意味での「価値」という言葉はあまり使いません。これはこれらの商品が消耗品として割り切られているために、「優秀な業者達」も積極的な「価値作り」に乗り出さなかったためでしょう(バブルの頃を除いて)。従って、ますますユーザー側は、より冷静な判断基準が持てるのです。
例えば新車を買うときに、「価値」という言葉を使う人はほとんどいません。「カローラとスターレットのどちらに価値があるでしょうか???」・・・なにかとっても間抜けな質問ですね。書いている自分が恥ずかしいくらいです。これは弦楽器においても全く同じなのです。自動車を買うときには、ユーザーは理性的に「予算」、「求める性能(大きさ、排気量、グレード、デザイン)」、「使用用途」、「消却期間」、「維持費」・・・など、じつに冷静な判断基準を持って購入します。「価値」の「か」の字も入る余地はありません。従って車を購入した後の話題でも、「価値」などという言葉は出てこないのです。これは一般乗用車はもちろん、高級車のメルツェデス・ベンツなどに関しても言えることです。
これは、楽器を見る上でも、考え方は同じはずなのです。すなわち、「価値」などというものは実際には無いのです。もしもそのような言葉を平然と使っている人がいれば、それは冷静な第三者から見ると「カローラとスターレット・・・」と同じくらい間抜けで、恥ずかしい会話です。