マイスターのQ&A


楽器の性能とは

1996年6月2日 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター
日本弦楽器製作者協会員 佐々木朗

 ヴァイオリン(族)を取り扱う上で一番重要な事柄は、ヴァイオリンという楽器をどのように理解するかです。すなわち、ヴァイオリンを正しく見ることができて初めて、正しくヴァイオリンを扱うことができるのです。
 今回はヴァイオリンを客観的に判断する上でもっとも基礎となる「性能」について述べます。この「性能」とは、「客観的に見たヴァイオリン」とも言えます。
1・これまでの間違った常識
 これまでのヴァイオリンに関する情報は、外国の楽器商の著書が元となったものがほとんどです。現在の日本においても、外国のそのような書籍を翻訳したものが一般的に知れ渡っています。しかし、私(佐々木朗)が冷静に見たところ、それらの情報のほとんどは「売る」ことを目的をした、非科学的なものが多いのです。それは「(特に古い)楽器の価値付け」であることがほとんどなのです。
 一方で、楽器を冷静に、科学(技術)的に著したものもあることは確かですが、そのようなものは一般の人々が手に入れにくい「専門論文」だったり、または理解しにくい専門知識だったりします。また、それらは絶対数自体が少ないのです。ですから非科学的な情報が氾濫している現状はある程度しかたないものですが、せめて「技術職」の人ぐらいは、ヴァイオリンをもっと冷静に見る知識を持つべきだと思うのです。「ストラディヴァリの神秘」「ニスの謎」「名器」等々、これらの一般常識のどこに「冷静な科学的見地」を見い出せるでしょうか。
2・ヴァイオリンの性能とは
 ヴァイオリンの性能を考える上で重要なことは、「性能の要素」を分割して考えることです。そのような考えのもとに、ヴァイオリンを見てみると、ヴァイオリンは「楽器の機械性能」と「木材の音響特性」の2面から成り立っていることがわかります。

楽器の機械性能……これは単純に、楽器本体の機械的状態のことです。例えば、自動車を考えてみてください。 新車のときには調子のよい自動車も、時間が経つにつれて壊れてきて、最後にはサビだらけのポンコツになっていきます。「楽器の機械性能」とはこのイメージです。楽器の傷み、壊れ具合のことです。

木材の音響特性……木材の物理特性のみを考えてください。楽器の状態(割れ、傷み)とは関係ありません。具体的にいえば、経年変化による木材の振動特性の変化といってもよいかと思います。
 楽器の性能とは、この2つの要素の足し合わせになるのです。逆に言えば、この2つの要素を冷静に見つめることによって、その楽器の本質を簡単に理解することができるのです。
3・良質楽器の「性能」
 ここでいう良質楽器とは、きちんとした材料と、きちんとした技術で作られた楽器を指します。「手工芸」「量産楽器」「値段」などの意味は全く含みません。



         

 上図は良質楽器の2つの性能要素のイメージをグラフにしたものです。従って、数値に具体的意味はありませんので注意してください。
 良質な楽器の木材は理想的な材料が使われるために、木材の乾燥によってその「音響性能(振動特性)」が、年と共に向上していることがわかります(いずれは下降線をたどりますが)。
 一方、楽器の「機械的性能」は、たとえ良質楽器においても、初期性能よりも上がることは絶対にありません。しかし、良質楽器の場合には「丁寧な作り」「丁寧な修理」「丁寧な取り扱い」等によって、楽器の機械的性能がほとんど落ちていないことがわかります。




          


 上図が上記の「2つの要素」を足し合わせた、「良質楽器の総合性能」なのです。我々が普通に何気なく使う「楽器の性能」または「楽器の良し悪し」というのは、まさにこの事を言っています。
 良質楽器の総合性能は、初期性能(100%)よりも若干向上していることがわかります。





4・粗悪楽器の「性能」
 「粗悪楽器」とは少々酷すぎる言い方です。しかし私がここで述べたい楽器とは、「量産楽器」でも「安い楽器」でもないので、あえてこのような呼び方をしました。別な言い方をすると、「作りの良くない楽器」のことです。結果的にそれは量産楽器や安物の楽器であることが多いのですが、一方で、高価な手工芸楽器にもそのような楽器が存在することも事実です。
          
 上図が「粗悪楽器」の性能の2要素です。
 このような楽器の材料には、プレス材が使われていたり、または単板としても木目のねじれた木材だったりするために、「音響性能」はあまり向上しません。
 「機械的性能」の性能曲線は、良質楽器に比べて落ち方が激しいことがわかります。これは普段の取り扱い方、そして修理の丁寧さに依るところが大きいです。安い楽器になると、どうしても修理にお金をかけられないので、その場限りの修理になってしまいます。そうするとこのグラフのように、修理をしたにも関わらず、楽器の性能は回復しないのです。




          

 上図が「粗悪楽器の総合性能」になります。これを見ると経年変化によって楽器の性能が向上するどころか、早い時期に楽器の寿命が来てしまっていることがわかります。
 先にあげた「良質楽器の総合性能」と比べて見ると、対照的であることが一目瞭然です。そしてこの説明方法が、これまでの経験とも一致することがわかることでしょう。




5・ヴァイオリン製作において
 最初に述べましたが、「ヴァイオリンの性能」の判断基準を知るということは、すなわち、ヴァイオリンを取り扱う上での最も重要な「基礎」となります。そして、この最重要知識を意識してヴァイオリンに接すると、これまで謎だった多くの事柄も、あっさりと、霧が晴れるように解決できるはずです。
 例えば、良質楽器の性能が経年変化によって向上することや、木材の音響性能が、同じく経年変化によって向上することは当たり前のように知られています。しかし、それではどのような作りの楽器でも300年も経てば「名器」になってしまいます。しかしそれでは300年後は、名器で溢れかえることになってしまうでしょう。これが非現実的であることが、この説明方法によって理解できると思います。答えを先に述べてしまうならば、「良くない楽器は生き残れない」ということです。すなわち、300年後の性能を考える以前の問題なのです。現時点においての最良質楽器のみが、300年後(この300年とは例えです。別に50年後でも構いません)の楽器の性能を議論する権利があるのです。
 これまで述べてきたことを理解することによって、我々がヴァイオリンを作る上での目標も明らかになります。すなわち、目標とする「良いヴァイオリン」とは、現時点のみの性能だけではなく、長期的スケールにおいても、その性能が劣化しにくいというものなのです。

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