マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:なぜストラディヴァリウスだけがここまで有名なのですか?

:もちろんストラディヴァリ以外にも、グァルネリ、アマティなどの有名な楽器もあります。しかし、確かにストラディヴァリの知名度はずば抜けています。ヴァイオリンとはあまり縁の無い人でさえも、彼の名前を知っているくらいです。ヴァイオリンの代表=ストラディヴァリウスと言っても、過言ではないでしょう。
 皆さんもそのようなストラディヴァリに対して、「本当にすごいの?」とか「具体的にどのように素晴らしいの?」等という疑問をお持ちなのではないでしょうか?今回はストラディヴァリウスだけの知名度がここまで高いその理由を書いてみましょう。

ストラディヴァリウスとは「単なる素晴らしい楽器」
 まず一番最初に誤解を恐れずに書いてしまいましょう。ストラディヴァリとは魔法の楽器でも何でもありません。「単なる素晴らしい楽器」なのです。この言葉は何もストラディヴァリのことを見下していっているのではありません。私の最大級の賛辞と思ってください。
 一般的にストラディヴァリを表現する言葉として「神秘的」、「科学では説明できない」、「これ以上の物の無い」・・・・等々の言葉が使われます。しかし私はこれほど安っぽい表現は無いと思っています。それではストラディヴァリに対して失礼にあたるでしょう。というのは、もしもストラディヴァリが現代に生きているとしたら、彼は「神秘的」と言われても嬉しくもなんともおもわないと思うのです。「とても素晴らしい技術・・」という言葉こそが、何もストラディヴァリだけに限らず、我々技術者にとっての最大の誉め言葉なのです。逆に言えば、先に挙げたような妙な言葉でヴァイオリンが表現され、変な商品価値を作り上げられていることも事実です。これはある意味では、いかに技術的なことが分かっていないかという表れでもあるのです。
ストラディヴァリの知名度の理由
 多くの方は、ストラディヴァリが凄いのは300年もの古い楽器だからと考えているようです。もちろんそれもあります。しかし、300年前の昔には、ストラディヴァリ以外の製作者もたくさん居たのです。なぜそれらの製作者達は現代において「無名(専門的意味ではなく)」になってしまったのでしょうか?その答えはヴァイオリン製作の時代背景、ヴァイオリン製作者の絶対数などがかかわっているのです。すなわち、ストラディヴァリを単独で考察したからといって、その答えは出てこないのです。それをいくつかの要素に分けて考えてみましょう。
ストラディヴァリの時代とヴァイオリンの普及
 ストラディヴァリがヴァイオリンを完成させたと思っている人がいますが、これは間違いです。ストラディヴァリの前にもヴァイオリンは存在しましたし、またストラディヴァリの後にもヴァイオリンの進歩(改良)は続きました。もちろんストラディヴァリが、ヴァイオリンという楽器の確立に最も貢献した人の一人であることは間違いありませんが。
 さてストラディヴァリの時代とは、ヴァイオリンという楽器が爆発的に浸透していった時代なのです。すなわち、とても大きな需要があり、この時代のヴァイオリン製作者達は新作製作に精魂を傾けました。というのは、当時はヴァイオリンの歴史の浅さからもいって、「古い楽器」はほとんどありませんでしたから、ヴァイオリン=新作楽器だったのです。このような時代背景の中、ストラディヴァリは結果的にたくさんの作品を残すことができました。これがポイントとなる一つです。
 事実、もう少し後の時代になるとヴァイオリンは飽和状態になり、製作者達には厳しい状況となるのです。またそのような中で、「量産楽器」という新しいライバルも生まれ、優秀な製作者だからといって無条件でもてはやされる時代ではなくなったのです。
当時のヴァイオリンの価値観と製作精度
 次の重要なポイントは、当時のヴァイオリンという楽器に対する価値観が現代のそれとは異なることです。当時のヴァイオリンに対する考えは、装飾楽器などの例外を除いて、単なる「実用品楽器」です。従って、それっぽい音が出れば満足する人がほとんどだったのです。当時はヴァイオリンという楽器がその後数100年の使用に耐えうる楽器と思っていた人は誰一人としていませんでしたから(多分、ストラディヴァリでさえそう思ってはいなかったでしょう)、バカ丁寧に製作されたヴァイオリンは少なかったのです。なぜならば、丁寧に作るよりもたくさんの数を作って、それだけ多く売ったほうが儲かったからです。この辺りは、グァルネリのヴァイオリンの製作技術と実際の製作方法を見ると、ある程度想像できることなのです。彼は非常に高い製作技術を持っていたにもかかわらず、音響的に影響の大きな胴体部分には非常に高い精度の工作を加えたのに対して、音響的に影響のないと考えた渦巻き部分は手抜きしているからです。
 さてこのように、「音さえ良ければそれでよい」と考えられていたヴァイオリン製作において、徹底的に手抜きしないで「精度の高い楽器」を作り続けたのがストラディヴァリだったのです。事実、彼の楽器は当時から素晴らしい楽器として評価されていたのです。
 現在博物館などにおいて、ストラディヴァリと同時代の3流のヴァイオリンをたまに見ることができますが、その作りの酷さには驚いてしまいます。逆に言えば、当時はその程度でも通用したのでしょう。しかし、その後の自然淘汰によって、良い楽器だけが生き残り、博物館などの例外を除き、そのような程度の低い楽器は壊れたり廃棄処分にされてこの世から姿を消していったのです。ヴァイオリンの「自然淘汰」です。
 当時、ストラディヴァリがどのような理由からあれほど手抜きの無いヴァイオリン製作を続けたのか、確証はありません。私の考えでは、単に彼の職人としてのプライドが手抜きを許さなかったのだろうと思います。しかし結果的にそれが影響して、後世における彼の楽器の評価を上げさせたのです。というよりも、正確に言えば、「評価が落ちなかった」のです。
演奏形態、弦の変化とヴァイオリンの隆起タイプ
 第3のポイントとなるのが、彼の楽器の音響的スタイルが、その後の時代の流れとマッチしたことです。当時のヴァイオリンの弦は現代とは全く異なる裸のガット弦です。そして演奏形態も宮殿で演奏したり、または小人数での演奏会だったでしょう。現代のように100人以上のオーケストラをバックに、1,000人以上の観客を前にして演奏するなどということは考えられないことでした。当時のヴァイオリンは現代で言う「バロック・ヴァイオリン」と思ってもよく、現代と比べると非常に弱々しい音だったでしょう(それでもヴィオールなどと比べると、「甲高い音」として賛否両論でした)。
 このように当時は小さな演奏環境での演奏を前提に作られていたヴァイオリンは、音量よりも音質に意識が払われていたようです。それはストラディヴァリよりも前に評価されていたシュタイナーやアマティなどの楽器の形態を見るとある程度は想像がつきます。このような中でストラディヴァリは発音量を上げることによって、結果的に音質も良くしようと考えたのでしょう。具体的には、楽器中央部分の面積を増やし、響板の隆起を低くしました。このような設計にした場合、張力の小さなガット弦を張った場合には、高倍音の出にくい単調な音色になりやすいのです。しかし、音量は出やすいので、別な意味での音色的なセッティングが可能になるのです。
 その後時代は大きく変わりました。産業革命によるスチール弦の発明。商業主義の発達(?)による大規模な演奏会形態の誕生。ヴァイオリンもこの波の影響を避けることができませんでした。というよりも、「改良」によって積極的に参加していったのです。
 私はストラディヴァリが、このような時代の流れをあえて予感し、それに耐えうる楽器を当時設計したとは思いません。おそらく彼は、当時における、彼の考える「良い楽器」を追求したのだと思います。しかし偶然にも、それが後世においても通用するタイプのヴァイオリンだったのです。この辺りが同じ「名器」でも、アマティやシュタイナーとストラディヴァリとの知名度の分かれ目なのです。
相乗効果で更なる性能の向上
 上記の重要な要素によって、ストラディヴァリの名は高まりました。しかし、それだけではありません。詳しいことは「マイスターのQ&A:楽器の性能」に詳しく書いてありますので、そちらを読んでほしいのですが、このような丁寧な作りの楽器は長い間に傷まず、逆に木材の音響性能の向上によって楽器の性能は上がっていたのです。また競って有名な演奏者が所有し、その付加価値も上がっていきました。すなわち、後世になるほどストラディヴァリの評価は高まり、それが「ストラディヴァリ神話」にもなったというわけです。すなわち、相乗効果によって性能は上がっていったのです。
ストラディヴァリの生きた時代が違ったら
 これまでのことでストラディヴァリの知名度の理由を理解していただけたかと思います。それを簡単にまとめると、彼の「技術力」と「時代背景」のかみ合わせです。
 さて、もしもストラディヴァリの生きた時代が違っていたらどうだったでしょう?私の考えでは、もしもストラディヴァリの生きた時代が100年前後していたのなら、彼が全く同じ楽器を作ったとしても、現代における彼の評価はなかったのではないかと考えます。事実、ストラディヴァリの後には彼と同じくらい高い技術の製作者は何人もいました。また現代の製作技術も、製作理論、製作道具の発達によって、ストラディヴァリをはるかに超えるレベルなのです。しかし、「時代背景」が異なるのです。従って、非常に高いレベルの製作であるにもかかわらず、ストラディヴァリのようには評価されません。しかしこれは仕方のないことです。
 同じように、もしもストラディヴァリが違った時代に生きていたとしたら、彼の評価はまた異なったことになっていたでしょう。
まとめ
 私はこれまで、「ストラディヴァリは魔法の楽器ではない」ということを書いてきました。このことに対してストラディヴァリの熱狂的なファンからは、「なに偉そうなことを言っているんだ!」と怒られそうです。しかし誤解しないでください。私はストラディヴァリの技術が大したことはないと言っているのではありません。その逆です。
 ストラディヴァリを神の領域に祭り上げることは、彼の本当の評価にはつながりません。我々一般の領域に引き戻して評価することこそが、彼への最大の敬意だと思うのです。

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