マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

:弾き込むことによって、音は良くなるものですか?

:「楽器を弾き込む」という意味には、2種類があります。ひとつめは、「短時間での弾き込み」で、「ウォーミングアップ」といった方がよいかもしれません。一方は、「もう少し長い期間においての弾き込み」です。これは数年から数十年間における楽器の音質の変化です。

ウォーミングアップと音質の関係
 ご質問は、こちらの内容に関してなのではないでしょうか?よく、演奏家が、「この名器は十分に弾き込んでからでないと、良い音が出ない・・・」などと言うのを耳にします。このような言葉は、もちろん間違いではないのですが、下手をすると見当外れな誤解を招いてしまうのです。まずはウォーミングアップと音質との関係を、冷静に考えてみましょう。

直接的な要因
 管楽器では、ウォーミングアップによって楽器を暖めることがとても重要らしいです。これは管楽器が、温度に大きく影響される「空気」を直接操作して音を出すためでしょう。すなわち、空気の微妙な体積変化、湿度変化が、音程や音質などに大きく影響すると考えられるのです。従って、管楽器奏者は楽器のウォーミングアップにとても神経質です。
 一方で弦楽器の場合には、空気を直接操作するわけではありません。音程は弦によって強制的に操作するので、管楽器ほど微妙なウォーミングアップは、その意味においては必要ないのかもしれません。しかし、もちろんハイレベルな意味においては、ウォーミングアップと音質との関係も否定できません。というのは、ミクロな目で見ると、楽器には構造的な「ガタ」があります。この部分の振動が高倍音成分に影響するのです。従って、最初に弾き込むことによってこの部分の構造的強度にわずかな変化が生じ、音質に影響が現れすのです。しかし、注意すべき事は、この効果が必ずしも好結果につながるという保証はひとつも無いということです。この意味でのウォーミングアップによって、場合によっては音が悪くなる楽器もあるかもしれません。
 他には、弾き込むことによって弦の張力が安定することも考えられます。保管している楽器の弦の張力は、刻々と変化しています(基本的には伸びる傾向にあります)。従って、ウォーミングアップによって、弦や楽器にたまった歪みを出し切り、安定した状態にすることができるのです。特にガット弦の場合には湿度に対して敏感なために、ウォーミングアップすることによって、弦を環境に適応させる事はとても重要なことです。

間接的な要因
 ウォーミングアップと音質の関係を考える上で、私は、楽器の直接的な音質の変化よりも、演奏者側の変化の方が効果が大きいと考えます。例えば、ほんのわずか練習(ウォーミングアップ)をする事によって、演奏者の身体が暖まったり、または身体の力みが取れたりすることは十分に考えられます。すると、当然、より良い演奏が可能となります。それがあたかも楽器の方が良く鳴りだしたかのように思えてくるのです。もちろん、演奏技術が増すわけなので、事実、良い音も出るのです。
 また、自分の耳が楽器に慣れる効果も大きいと思います。例えば、少々キンキンと耳障りな音のする楽器の場合、弾き始めには、それに対して違和感を感じます。しかし、演奏を続けて慣れることによって、その違和感が無くなってくるのです。この事を逆に、「楽器の音が馴染んできた」と感じるのです。
 これらは、ウォーミングアップをした前後の楽器の音を測定してみると、実際に自分が感じる変化よりもはるかに小さいという事からも想像できることなのです。演奏とは、人に聴かせることも重要ですが、自分が納得できるということも重要な要素です。この様な意味から、「自分が楽器に慣れる」ということも、大切な「ウォーミングアップ」のひとつなのです。
長期間に渡る、弾き込みと音色
 この事についても、様々な説が流れています。例えば「正しい音程で弾いているほど、楽器は鳴りやすくなる・・・」、「楽器をホワイトノイズで振動させ、エージングすると良く鳴るようになる・・・」、「楽器を機械弓で鳴らし続けたが、特に変化は見られなかった・・・」等、様々です。私の考えとしては、上記の説は、ある側面では正しく、そしてある側面では誤りであると考えます。
 例えば上記の最初の事柄に関して考えてみましょう。正しい音程で楽器を振動させるということは、先ほど述べましたように、楽器の構造的強度に微妙な変化を与えます。従って音色が変わることは不思議な現象ではありません。しかしそれが「正しい音程」でなければどうかは、何とも言えません。というのは「正しい音程」とはひとつではないからです。例えば、純正調においては音程自体に幅があります、従ってもしも「正しい音程」でなければならないのなら、ハ長調で良く鳴る楽器はヘ長調では鳴らないということになるはずです。しかし、実際の良い楽器において、この様なことはありません。それどころか、良い楽器は音程の狂った音(例えば現代音楽など)でも良い音で鳴るのです。
 この様に、ある事柄が正しいかどうかを考える上で、その逆の事柄について、正しいかどうかを考えることは大切なのです。これは「命題」的な考え方で、すなわちそれは「科学的(理性的)」考え方の第一歩と言ってもよいと思います。これは楽器を冷静に見つめる上で大切な考え方です。
 さて、話がずれてしまいました。楽器のエージングがどのように影響するのか、具体的には分かりません。各楽器によっても、その効果は異なって現れるからです。従って、あまり意識過剰になるのはどうかとおもいます。

 上記の純粋な意味での弾き込み(エージング)による効果の他に、長期間楽器を演奏することによって、実際に音が良くなる要素は存在します。その一つは、演奏技術が向上することです。知らず知らずの内に演奏技術が向上することによって、楽器が良く鳴るようになったと錯覚するのです。
 次にあげられるのは、楽器の機械的構造の変化と、木材の音響性能の変化です。これらの効果がプラスの側に働いた場合には、楽器の音は向上します。
まとめ
 楽器を弾き込むことによって、楽器の音は確かに変化します。しかし、それが良い方向に働くのか、逆なのか、そしてその効果が大きいのか小さいのかは各楽器によってまちまちと考えられます。従って、「弾き込む」ことに夢中になりすぎて、楽器に余計な力を掛けて演奏していたのでは、楽器への悪影響に繋がってしまいかねません。また、大きな音量で弾き込もうとして、楽器のみならず自分の演奏スタイルまでバランスを崩してしまう可能性もあるのです。
 私の考えでは、あまり神経質になる必要はないと思っています。大切なのは、演奏者側のウォーミングアップと、弦(特にガット弦)を環境に慣れされるということです。

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