昨日、「メーカーのインクを浪費させて、インクで稼ぐ商法に辟易している」という記事を書きました。これは皆さんも感じていらっしゃる事だと思うのです。

 そんな不満を持ち続けながらも、インクジェットプリンを使い続けていることも事実です(レーザープリンタと併用しています)。

 私の最初のインクジェットプリンタは、1980年代後期くらいのCanon BJ-130Jという、モノクロ専用のバブルジェットプリンタでした。今の若い人には考えられないかもしれませんが、当時のドットインパクトプリンタの性能は、24ドットX24ドットの解像度で出力するキザギザ文字でした。以前の16ドット解像度の出力プリンタから進歩して、ようやく漢字の出力が実用的になったのが、24ドットプリンタでした。

 そして次世代高性能出力が48ドットだったのですが、これをいち早く安価に実現したのが、ドットインパクトタイプではなく、バブルジェット方式だったのです(ドットインパクト式で48ドットタイプのEPSON VP-4800というプリンタもありましたが、とても高価なものでした)。

 最初に48ドットの文字を見たときには、「なんて綺麗なんだろう」と、うっとりしたものです。ちなみにこの時期の日本は、パソコンと並行してワープロも進化していました。ちなみにワープロは熱転写式がずっと主流でした。

 1991年に私はドイツに渡り、その間はパソコンはお預けで、その4年半の間は私のパソコンブランク時期です。ちなみにノートパソコンはまだまだかなり高くて、私は購入することが出来ませんでした。ドイツに住んでいる期間は、SONYのワープロを日本から持参して、それで手紙を書いたりしていました。

 1995年にドイツから帰国して、早速ノートパソコンとプリンタを購入しました。私がパソコンから離れていた4年半の間に、カラー画面のノートパソコンは普及してずいぶん安くなり、プリンタもカラープリンタが普通になっていました。多分この時に購入したカラープリンタはPIXUS BJC-600Jという機種だったと思います。秋葉原のラオックスコンピューター館でこのプリンタのカラー出力の素晴らしさを見て、感激して即決でした。夢だったカラー印刷が出来るのですから。

 帰国直後に購入したEPSONのノートパソコンと、Canonのインクジェットプリンタ(この頃はもうバブルジェットとは言っていなかった気がします)で、工房開業直後の色々な事を行いました。工房への地図を書いたり、ロゴを作ったり、ホームページを作ったり、チラシを作ったり・・・。

 1996年末になると、EPSON PM-700Cというとんでもない高画質のプリンタが発売されて、そこからは毎年CanonとEpsonとでプリンタの高画質競争があって、私もそれに吊られて何台か購入しました。この辺りに関しては皆さんも同じではないでしょうか?

 そして「家庭用として使う一般的なA4インクジェットプリンタ」と、「仕事用の顔料タイプのA3プリンタ」の併用へと分かれていくのです。

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