私が何度も「カーボン弓って良くないですよ」と主張しても、相変わらずカーボン弓に興味を持っている人が多いです。そして「先生が良いと言ったから」とか、「先生も勧めているから」いう言葉もよく聞きます。

 なぜカーボン弓を良いと感じるかというと、その演奏者が所有している元々の(自慢の?)フェルナンブコ弓の性能が低いからなのです。

 何度でも書きますが、プロの演奏家でまともな性能の弓を所有している人は少ないです。値段とか、ラベルの話ではありません。こう言うと、演奏者の薄っぺらなプライドを傷つけてしまい、反感を買うのは承知の上で言っています。

 なぜ、能力の高いプロの演奏者さえも「判っていないのか」というと、教育でそのような理論や考え方を受けていないからなのです。それどころかそのような科学的な考え方を「芸術という言葉を悪用して排除し続けているのが、現在の演奏界とも言えるのではないでしょうか。

 見習うべきは、「スポーツ界」です。スポーツ界には「スポーツ科学」という言葉や分野があるのに、音楽(演奏)界にはそのようなものは存在しません。必要であるという基本的な考えもさえも存在していないのです。

 さて話しをカーボン弓に戻しますと、カーボン弓の特性は「良質(ここが重要です)なフェルナンブコの弓竿」の特性とは全く違っているのです。カーボン弓が良い悪い以前に、「別物」なのです。ここが判っていない人がほとんどです。

 具体的にどう違うのかというと、カーボン弓は初期当たりが固い割に、その後の沈み込みが一定しています(感覚的には沈み込みやすいイメージ)。バネみたいにフワフワする感じなのです。
 一方、良質なフェルナンブコ弓の場合には、当たりはさほど固く感じないのに、弓竿を押し込むごとに圧力を感じるようなイメージなのです。この二つの差は言葉で表現する以上に、全くの別物なのです。もちろんそれ意外にもバランスとか、他の要因もありますがそれは今回の話しでは除外します。

 さて、このような単純な差をなぜ、プロの演奏者さえも感じる事が出来ないのかというと、現在使っているフェルナンブコ製の弓がペコペコだからです。だから、雰囲気としては「弱いカーボン弓」みたいな特性を持ってしまっているのです。だからカーボン弓に対して違和感を感じないのです。それどころか「けっこう使える」と感じてしまうのです。

 私の工房にて良い弓を購入された方には、私の言っている違いは判ってもらえるはずです。しかし、そうでない人にいくら説明してもなかなか判ってもらえないのです。それよりも、偉い先生の間違った言葉の方や宣伝上手の企業広告の方が、よほど信頼されるのです。

 まあ、しょうがないですね。それが私の実力(信頼度)ですから。

 

補足:私のこれまでの行動を見ている人には納得してもらえると思いますが、私は伝統的な技術だけでなく、新しい技術も使える物は差別なく積極的に取り入れようという考えです。他の技術者よりも、積極的に行動しているつもりです。
 従って、カーボンという素材自体を悪く言っているのではありません。その点は誤解しないでいただきたいです。

 私が言いたいのは、「本物の良い弓が手に入る内は、多少高くても、本物を手に入れた方がよほど得ですよ」と言いたいのです。将来、良いフェルナンブコ材が入手できなくなった時がおとずれたら、また別の考えを言う事でしょう。しかし、それは今ではありません。

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