先日、ドイツからのお客様との雑談の中で、「サッカーワールドカップで日本人サポーターのゴミ拾い」が素晴らしい」と褒められました。
確かに素晴らしいです。同じ日本人として、誇らしい気持ちです。
しかし、その一方で偽善的と感じる事もあります。それは、日本人は「ある流れの中では、規律的だけれど、誰も見ていないところでは、そうでもない」と感じているからです。
例えば、私が何度も主張している、「自転車の交通違反(信号無視は、マナー違反とかの甘い話ではありません)」、「タバコを排水溝に捨てている人(偽善的です)」、「缶ジュース等の空き缶を、ポイ捨てするのではなく、他人の自転車のかごに入れる人」、「電車で、我先にと座ろうとする若い人(それでゲームしたりしています)」、「運転マナーの秩序の低さ」、等々・・。
これが、ニュースやSNSなどで流行になっていることは、確かに規律的です。しかし、見えない部分でも果たして同じでしょうか?
本当に大切な行為って、誰の目にもとまらないような、小さな行為だと思います。
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