能力のある人って、自信を持って「普通」を追求します。当たり前に「普通」のことを完璧に行います。「基本」と言っても良いと思います。
しかし逆に、能力の無い人って「特別(特殊)」に拘るのです。なぜなら、「特別」な事を行っている自分が、高度な事を行っていると錯覚できるからです。「心地よい」のです。
「普通」、または「標準」って、これまでの歴史の中で数え切れないほど多くの試行錯誤の中から生まれた、ある意味「極値」なのです。けっして、「程度の平均値」のことではないのです。ここを勘違いしている人が、程度の低い人にほど多いのです。
これは演奏とかだけのは無しではなく、全てにおいて当てはまります。我々職人の技術でも、凄い人ほど、普通の事だけを話します。突拍子もないことも、奇抜なことも話はしません。あくまでも、普通(基本)の事だけです。しかしその「普通」のレベルが凄いのです。
本質は、「普通」のなかに入っているのです。
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