私の話の中で「良い楽器」、または「良い技術」という言葉が頻繁に使われているのをお気づきと思います。

 しかし、「楽器の製作技術って、そんなに差があるの?」っていうのが、正直な感想なのではないでしょうか?

 答えとしては、「技術力には、大きな差があります」です。

 専門家で無ければ、よほど安物の量産楽器でもなければ、なかなか「技術」というものはわかるものではありません。事実、私でさえ、自分の専門分野外の金管楽器とかを見ても、弦楽器ほどは「差」を見極めることはできません。もちろん自分自身が行ったことのある技術部分、例えば部品の面取りの精度とか、銀ロウ付けの技術とか、小部品の製作精度とかは判ります。しかし、金管楽器そのものの判断はできません。

 職人の私ですらそうなのですから、一般の方が製作技術の差を判別できないのは当然の事なのです。

 それでは実際にどのくらいの「差」が存在するのか? というと、それは皆さんのお仕事(または会社)に当てはめてみるのと、大体の想像はできるはずです。
 例えば、専門外の私から見たら、それぞれの会社はその分野の専門家揃いです(もちろん内容は部署にもよるでしょうが)。もちろん私がその優劣など、判断しようもありません。

 しかし、おそらく、会社内では、「あの人はできる」とか「あいつは、どうしょうもないやつだ」とか、色々な評価(差)があるはずなのです。

 これは弦楽器業界でも全く同じです。

 ただ注意が必要なのは、その「差」は、価格の差とは別と言うことを理解していなければなりません。また、その「差」は一般的に流れている情報とも違うと言うことを理解していなければなりません(そのような情報とは、意図的に作られたものが多いからです)。

 

 ここからは、ちょっと蛇足です。

 例えば、国家試験のあるような医者でさえ、”藪医者”から”ゴッドハンド”まで存在するはずです。料理人だって同じです。大きな「差」は確実に存在します。そして、それが当たり前です。国家資格や試験さえもないこの業界なら、なおさらです。

 それでは低い技術の人間に存在価値はないのか? というと、そんなことはありません。全ての人に存在価値(意味)はあります。なぜならば、それを必要としている人が、そこに通っているからなのです。

 自分にとって最高(何を最高と考えるかは人によって異なるでしょう)と思う楽器店や、技術者をさがして、そこで関係性を築き上げて、長い付き合いをすることこそが技術の本質なのです。

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