先日、お客さまとの会話の流れから、久しぶりにオイストラフ演奏の「ベートーヴェン・春ソナタ」のレコードをELPレーザーターンテーブルで再生しました。コロナ禍で、こういう機会も減ってしまっていたので、久しぶりです。
このブログ中でも何度も書いていることですが、オイストラフの「アタックをかけていない力みの無いボウイングなのに、音量とダイナミクスが有り、しかし弓先まで音が先細りしないで持続できている音」の演奏は、まさに私が主張している「真の意味での高い性能の弓の物理的効果」無しにはあり得ない音なのです。
だから私は音楽マニアとしてオイストラフの演奏を紹介しているのでは無くて、弦楽器技術者として、私の主張の証明としてオイストラフの音を紹介しているのです。
特にELPレーザーターンテーブルで再生したオリジナルのレコードの音は、後年CD化された物と音とは全く異なります。これは、工房にいらしてレコードを聴かれた方ほぼ全ての方の正直な感想です。
さて話がずれてしまいましたが、久しぶりに「春ソナタ」を聴きました。オイストラフ(またはコーガン)が演奏した、シベリウスやチャイコフスキーなどの大曲協奏曲も素晴らしいのですが、こうして久しぶりに聴くと「春ソナタ」のようなシンプルの曲の方が、研究にはもってこいだとあらためて感じました。
私は音楽表現における「ダイナミクス」の効果、効能をとても重要視していますが、性能の低い弓を高性能だと勘違いしている(価格が高いです)上手な演奏家の多くの方は、ppの表現をマイナスの演奏だと勘違いしているのです。しかしそのような演奏のppは擦れるのです。
オイストラフの春ソナタを聴くと(高音質で無ければ聴き取ることは出来ません。ここが最重要ポイントです)、ppとは「小さなプラスをかけ続ける行為」だということが理解できるのです。それは小さな摩擦力をプラス側にかけ続ける、すなわち弓をコントロールせずに乗せ続けるという行為なのです。
これは私の主張する「真の意味での高性能な弓」でなければ、結果的に出来ない行為なのです。この辺りを説明しても、実際に私の工房にて弓を購入されたお客様以外には、どうしても理解して頂けません。
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