今日、工房にいらしたお客様と、「弓を選ぶときに、いきなり自分の感覚で選んではいけない」という話をしました。「自分の感覚を信用する」というのは、かっこいい言葉ではあるのですが、しかし「感覚」というものを突き詰めて考えていくと、実は実体のない、流動的なものなのです。

 私自身、自分の「感覚」は信用していません。もちろん、全くというわけではありませんが、全面的には信用していないのです。自分自身、その時には「こうだ!」と感じていたことでも、時間が経つと「こうだったっけ?」みたいになってしまいます。もちろん、職人像として「感覚」という言葉を使うと、受けが良いことも知っていますが、そんな安っぽい「職人像」などはどうでもよいです。

 記憶とか、感覚とかって、けっこう気分的なものなのです。例えば、楽器の色についても記憶でも、本格的に考えていくと、結局のところ記憶とか感覚とかで考えることは不可能です。音色も同じです。必ず比較となる数値とか、見本とか、グラフとか「見えるもの」が必要になってくるのです。感覚は記憶できませんが、視覚情報は記憶しやすいからです。私が様々な測定機器を導入しているのもこのためです。

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