昨日、エンドピンストッパー”Zauberplatte”を購入しに、初めて私の工房にいらしたお客様の事です。ご予約の時間に玄関チャイムが鳴って、ドアを開けて私は初めて知ったのですが、車椅子に乗られている方でした。

 ご両親と介護タクシーの運転手の手伝いのもと、重い電動車椅子から手動の小型の車椅子に乗り換えて、どうにか私の小さな工房に入る事が出来ました。

 私は内心、「失敗した。わざわざ工房に来させてしまって、苦労をかけさせてしまった」と申し訳なく感じていたのです。

 しかし、直ぐに、そう感じた自分の方が間違っていたと、反省しました。

 チェロに対して、演奏に対して、そして私の作った”Zauberplatte” に対して、そして私の調整に対して、その方の興味は、他のお客様と何ら変わるものではありませんでした。自然と私も、全く同じような説明をしていました。

 「音」は皆に平等です。なぜなら、音は結果的に、その人の人柄が出すものだからです。演奏自体は、もともとの才能だったり、楽器の価格だったり、身体的なハンディだったり、練習時間だったりの個人的な都合で、どうしても限界はでてしまいます。しかし「良い音」は皆に平等なのです。

 私はいつもこう言います。「ケチ」で「見栄っ張り」で「面倒くさがり」の反対側に歩けば、必ず道が開ける、と。

 その方は、私が「工房にわざわざ呼び寄せてすみません」と言ったところ、「いえ、私が来たかったのです」と言ってくださりました。

 その通りでした。来て、会って、話して、初めて得られるものがあります。それを得るために、介護タクシーを使ったり、ご両親に手伝いを求めたりして、大変だったことでしょうが、それは苦労ではないのです。その行動こそが楽しさであり、音の本質なのです。

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