少し前の事ですが、Bluetoothスピーカーで私のお気に入りのヴィオラのCD曲をかけて聴いていると、ヴィオラの音があまりにも薄っぺらで、全然ヴィオラの魅力を感じないことに気づきました。音質とは関係の無いはずの演奏さえも、気のせいとは言え、下手くそに感じたのです。

 つい昨日にも、妻と車に乗っているときに車のオーディオにて、これまた私のお気に入りのマイスタージンガー全曲をかけて、妻に「この演奏、素晴らしいんだよ」と説明しながら聴いたのです。ところが、私が色々な人にお勧めする、その良さが全然感じられないのです。

 内心「あれっ?」って感じでした。

 その後に、何が物足りなかったのかを考えてみました。上のヴィオラの演奏では、ヴィオラの胴体の大きさが感じられなくて、ヴァイオリンの演奏ばかりが目立ってしまっていました。それは低音というだけでなく、「響き」も含めてです。

 一方、マイスタージンガーの場合には、私が工房にいらしたお客様に聴かせたときに「コントラバスの縦の線が素晴らしいでしょう?」と説明する、そのコントラバスなどの中~低域がぼけてしまっていたのです。そのために、ヴァイオリンなどの旋律ばかりが目立ってしまっていて、旋律が乗っている土台部分(余韻も含めて)がなくなってしまっていたのです。

 このように、同じ曲を聴いていいるのに、オーディオ装置のクオリティで、その曲の印象は全く異なってくるのです。当たり前と言えば当たり前の事なのですが、こういう基本的な常識って、意外と忘れてしまいがちです。

 私も含めて多くの方々は、音楽の本質のほとんどが演奏自体にあると思い込んでいます。しかし、演奏と同じくらい、音質(音響)にも重要な要素が含まれているのです。

 この「周波数」と「感じ方」の関係って、楽器の性能とも一致します。多くの方が感じている「良い音」って、私から言えば、「癖のある音」とか、「詰まったキンキン音」タイプとかなのです。オーディオ装置で例えると、「ドンシャリ」タイプの楽器とか、「低音が鳴っていると思っていて、実はこもった音」のタイプなのです。

 本当の良い楽器って、とても素直な周波数特性をしています。一部分だけに極端なピーク(これを良い音色と感じている人が多いのです)があるのではないのです。

 そしてそんな良い楽器って、一見(一聴)意外と素直で地味なのですが、演奏技量によって、「色」を着けることが可能なのです。

余談:私は音楽を聴いていても、無意識にこんな事(周波数特性とか楽器との関連とか)ばかり考えていて、演奏自体を純粋に楽しめないのです。

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