私自身が勉強中(修行中)の経験から、自分自身にとって一番ためになった作業とは、「雑用」だったと思います。
なぜ「雑用」がためになったのか、教える側の今になってはっきりと判ります。
それは、「雑用」とは、主教育(または修業内容)内容の一歩(半歩?)外れた場所の作業なのです。だから、ちょっと気軽に、ある程度本人に任せることが出来るのです。自分で考えて実行できて、そして多少の失敗も可能なのです。
教育で一番重要なことは、「自分でやりかたを考える」ことと、「小さな失敗を経験させる」と言うことです。そして一番重要なのは、「自分で考えて実行したことが実現する満足感」です。
「雑用」作業においては、これが経験できるのです。だからとても勉強になるのです。
勉強とは最短距離を教わることではありません。「あえての回り道」を経験させてもらうことなのです。