昨日、お客様に1960年代のレコードを聴いてもらって、「こんなに古い録音なのに、現代でも色褪せない素晴らしい音でしょう?」って、話をしました。
そのお客様も驚かれて、私の主張する「演奏者としてのオーディオ」という物に対して、色々と興味深く質問してくださりました。
多くの方は、「演奏」という行為にはとても関心が高いのです。しかし、「良い音」というものに関しては、意外なほど無関心です。無関心と言うよりは、勘違いしているというのが私の正直な感想です。
「良い音」を「良い演奏」と思い込んでいるのです。もちろん、良い音の中には、良い演奏によって生まれる要素も含まれています。しかし、それらはイコールではありません。「良い音」とはもっと機械的、クールな内容であり、「音響」と言い切ってもよいかもしれません。
多くの方は「血の通っていない音響性能なんかよりも、演奏という自分の具体的な行動こそが大切」と思われているようです。しかし、「良い音」を聴くことで、自分の価値観の殻を外から叩いてもらい、自分の価値観にヒビを入れることが出来るのです。
これは「オーディオ」だけでなく、「楽器」なども同じです。
すなわち、自分の力では無くて、他人の力だとか、道具の力を使って、自分自身を殻を破り(ヒビを入れ)、自分自身をより一層高めるのです。そうすることで、人生の僅かな残り時間を、有効に活用できるのです。
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