音楽だとか、演奏だとかを「芸術」だと信じ込んでいる人、思い込んでいる人がとても多いです。
しかし「芸術」という言葉は危険です。
なぜならば、「芸術」という言葉は「権威」と繋がっているからです。
本来の芸術とは、これまでに何度も私が説明してるように、「聴いている聴衆という生物に起こった生理的現象を、その聴衆という生物が、自分自身の持っている芸術感、宗教観、感動感などにあてはめて造り出した虚像」であるはずです。すなわち、受ける側の論理です。
しかし、多くの方が無意識の内に導かれてしまっている「芸術」とは、「権威による保障」なのです。
演奏の追求は、科学的根拠の上に成り立つ物理運動であるべきです。しかし「科学」とか「理」とかを言うと、白けられるのが現状なのです。
体育大学(または筑波大学 体専とか)の様々な研究室を見てください。実に様々な分野の研究室が存在し、その様々な分野から、視点から運動だとかスポーツを追求しています。
音楽界、演奏界が権威と連んでいたら、これ以上の進歩はあり得ないでしょう。
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