弦楽器演奏を語る上で、「芸術」という言葉を避けて通るわけにはいきません。
多くの方は、「芸術」とは尊いものであり、追い求めるものだと思っていらっしゃる事でしょう。
その通りとも言えますが、しかし、とても危険な言葉です。
冷静に「芸術」という言葉を考えてください。客観的定義があるでしょうか? ある意味、言ったもの勝ちの言葉です。
さらに分析すると、「芸術」とは権威による保証なのです。
これは、楽器で言えば「価値」と言う概念と似ています。
だから「芸術」を追い求めることに、商業的意味合い以外の理由は無いのです(注)。
それでは弦楽器演奏における目指すものは何かというと、「理にかなった運動」と、それが結果的に生み出す「聴衆の生理的反応(=感動)」です。これが音楽の本質です。
一例をあげると、自分の幼い子供の演奏が「芸術的」でしょうか? しかし、「感動的」だと思います。しかし他人が聴いたら感動的?
この命題の解は、「演奏側に答えは無い」という解です。すなわち、「感動とは聴く側の論理」なのです。「芸術」も、本来はそうであるべきなのです。
注:「安易な安心感」という理由もあるかもしれません。
関連記事:
- 「上達」って、自分を変えていく行為なのです
- 「芸術」という言葉を美化するのは危険です
- 楽器の音(の発音)の理論的な説明に、もっと興味を持って欲しいのだが
- 「能書き」と「ハイエナ」の方々へ、ごめんなさい
- 現状を「それが当たり前なのだ」と安易に受け入れてはいけません