私は「演奏とは理にかなった物理運動であって、それはスポーツと同じである。芸術と勘違いしている人が殆どだが、芸術とは聴く側の論理(聴く側が作り出す像)である。」と、主張しています。

 しかし、演奏とスポーツとの決定的な違いもあります。

 スポーツにおけるそれは「結果」が明確にでるという事です。タイムであったり、勝ち負けなどの結果が、スポーツでは目に見えて出るのですが、演奏は、そういう形では出ません。

 だから現代スポーツ界では、結果が出なかった選手が、素直にトレーナーの言葉だとか、性能の優れた道具を信頼して(藁にもすがる思いで)採用するのです。外部の専門家の技術を取り入れるのです。スポーツの世界はある意味残酷であり、ある意味シンプルなのです。

 ところが演奏における結果は、スポーツにおけるそれにくらべると不明確です。実際には明らかに音の違いとして出るのですが、しかしそれを的確に理解できる人はほとんどいません。多くは、「音色」とか「味」とかいう表現でいくらでもごまかすことが出来るのです。

 ちなみに、コンクールなどは一見明確な結果と思えるかもしれませんが、あれはちょっと怪しい世界です。それ以上は言いませんが。

 

 さて、今回何が言いたかったのかというと、「演奏とスポーツとは一見違いがあるように感じるかもしれませんが、実際には同じなのです」と言いたかったからなのです。
 演奏の結果はスポーツのように単純には表示されませんが、実際には明確な差が出ているからです。それを多くの演奏者は知ろうとしないか、または目を背けているだけだから、見えないのです。

 自分を一番だませる言葉は「自分の好みの音色、雰囲気」です。これを言い出したら、何でもありなのです。

 それでは楽器における重要な要素は何かと言うと、味も素っ気も無い物理的な要素、味も素っ気も無い音響的な要素です。

 

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