先日、ある大学生(大学院生?)から、「自分が所属していたオケに対して、OBとして自分は何をしたら良いのか? 何ができるのでしょうか?」って尋ねられました。
その問に対して、私は明確な返答をすることが出来ませんでした。
なぜならば、その問はまさに私も追い求めているものだからです。だから私の方が訊きたいくらいで、まともな答えなんて持っていないのです。
しかし、人生経験がながい分だけ、一生懸命答える義務があります。だから絞り出すように考えて、中途半端な返答ではありましたが答えました。
1.他人の考えを変えることはできるものではない
私が若い頃は、(弦楽器関連に関して)多くの人が間違っていたり勘違いしているのは、問題の正しい解法を知らないからであって、その解法を正しく教えたら、自然と正しい答えに辿り着くものだと思っていました。
だから私は、弦楽器関連における科学的な「理」というものを、ずっと説明し続けてきました。ところが、この業界の大多数から無視されています。おそらく視界にも入っていないのでしょう。
人間のプライドというものは想像以上に強固で、自分自身の考えを変えようとしている人は、ほとんどいないのです。すなわち、大多数の人は真理の追究よりも、自己肯定に満足感を得ているのです。だから「権威」とか「評価」にこびるのです。
まとめると、「真を食ったアドバイスほど、無視される」です。
それでは「無視されたり、反発されたりするので言うだけ無駄なのか?」というと、それでは自分がお世話になったオケへの恩返しにはなりません。OBとして、きちんと嫌われ約を買って出なければならないのです。それが無駄な努力と判っていても。
2.他人を変えることは出来なくても、変わることは出来る
話はちょっと変わるのですが、私の工房のあるお客様が「よく自分の楽器の事を褒められます。皆さん他人の楽器を意外と気にしているのですね」って言ってきたのです。しかし私の経験では、他人の楽器を気にしている人ってずいぶん少ないと感じています。
そこで私はこう推測しました。「おそらく、***さんの音が素敵なので、自然に眼が向いているのでは?」と。事実、そのお客様の音って素敵なのです。もちろん演奏も。
この会話の経験をもとに、その大学生に私はこうアドバイスしました。「生涯掛けて、振り向いてもらえる自分を作るべきなのでは? それで後輩達が変わっていくかもしれません」
綺麗事と思われることでしょう。しかし、それ以外の方法で他人を変える(影響を与える)ことができるでしょうか?
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