多くの方は、「自分の今の楽器(または弓)に満足している」と言います。しかし、業者の自分としてではなく、技術者の自分として言うならば、それは逃げの言葉、または逃避の言葉でしかないと思えるのです。

 なぜならば、真の意味での性能の高い楽器(弓も含む)に替えると、今までに見えなかった世界(境地、技術的意味)が見えてきますから。そして、もちろんですが音としての結果も出ます。

 さて、ここまで読んで、「どうせ怪しい業者さんのいつもの勧誘でしょう?」と疑っている方が大多数と思いますが、そういう方々はブラウザを閉じてください。

 演奏において重要なのは、何度も主張していますように科学的な「理」です。その中の一部として、「理にかなった道具」があります。

 ようするに、良い楽器や良い弓というのは、物理的な意味での「理にかなった道具」なのです。いや、そうであるべきなのです。

 ところがこの業界、演奏家も、同業者も、根拠のない感覚論ばかりです。はては「芸術」とかいうインチキな言葉で全てを誤魔化します。何度も言いますが、「芸術」とは「権威による保障」であって、本質では無いのです。

 さて、話をもどしまして、良い楽器(弓も含む)に替えることで何がかわるのかというと、「弾きやすさ」と「音」です。

 まずは「弾きやすさ」に関して言えば、これは調整技術も含まれていますが、きちんとした作りの楽器をきちんとした技術で調整していると、ちょっとしたきっかけを与えるだけで、まるで音の方が自分から踊るよう飛び出す感覚です。弾きやすいのです。弾き疲れしないのです。
 また、音程のツボも見えやすいです。

 一方、理にかなっていない楽器だとか、理にかなっていない下手な調整の楽器の場合、弦を一所懸命押さえて、音を必至に出さなければなりません。その努力の割に、音が出ていないのです。だからどうしても、パーフォーマンス(視覚的表現)に走ってしまいがちです。

 「音」に関しては、「音響」と言うべきです。物理的な意味での「音」の話です。感覚論とか抽象論とかの話はいくらでもごまかしがきくので、当てになりません。

 さて良い楽器の「音響」の特徴とは何かと言うと、「ダイナミックレンジの広さ」や「周波数特性の素直さ」、「発音特性の良さ」、「エネルギー変換効率の良さ」など色々存在します。これらは一見、演奏や音楽とは関係ないように思えるかもしれませんが、これこそが演奏や音楽を構成している基本要素なのです。

 まとめると、良い楽器(弓)に替えることで、今までどんなに努力をしても出なかった音が、無理なく簡単に出ます。演奏の表現が可能になるのです。文系的な表現をするのなら「新しい世界が見える」ということです。これが当たり前の技術論なのです。

 最後に重要なのは、「いくらネットで情報を漁っていても、絶対に何もわからない」という事です。人と人との会話、そして優れた人の縁、そこから「本物の体験」を実感することができて、最後に自分の価値観が広がるのです。

 一番高価なものは、自分の人生の残り時間です。だから私は「理にかなった道具」をお勧めしています。何も数千万円とか数億円とかの論外の話ではなく、実用品としての価格の問題です。それをケチっていて、または逃避していて、何が得られるというのでしょうか?

 これまで何度も書いていることを、また書いてしまいました。

関連記事: