昔のスポーツ界では根性論が主流でした。ほんの数十年前までの、最近の事です。しかし今、色々な計測器具の進化とともに、スポーツ科学という考えかが発展して、それに伴って考え方も指導方法も変わってきました。
今現在、鉄ゲタを履いてランニングしている柔道家がいるでしょうか? ウサギ跳びでグラウンドを何周も廻っている高校球児がいるでしょうか?
このようにスポーツ科学の考え方とともに、指導方法も変わっています。
もちろん、「根性」は大切です。しかしそれだけではダメという話です。
さて、目を我々の業界、すなわち弦楽器関連に向け直して考えてみてください。時代とともに何かが変わっているでしょうか?
私には相変わらずの、スポーツ界で言うところの「根性論」、弦楽器関連で言うところの「芸術至上主義」です。何も変わっていません。
なぜかというと、安定の上に乗る事って楽だし、自尊心を満足させてくれるからなのです。また、「芸術」って権威による保障でしかありません。逆の事も言えて、権威が大きな利権を握っているのです。
私はこんな事ばかり数十年も主張し続けているので、この業界では異端児というか、相手にされていません。しかし、ごくごく少数のお客様が私の考え方を信頼して、「理にかなった道具を使って、理にかなった運動をすることで、理にかなった結果が出る」という事を体感してくださっています。
最初は皆、自分の音の変化に驚くのですが、私にとっては当たり前の事です。「それがあなたの実力なのですよ」と。
演奏の表現って、気持ちで出すものではなくて、「理」から生まれるものなのです。なぜならば、我々は宇宙の物理法則の上でのみ生活しているのですから。
例えば、洗濯物を雨の中外干ししていたら、どんなに長く干していても乾きません。また室内に干したとしても、濡れた衣類を密閉袋でパックしてしまったら、それも乾きません。
洗濯物を乾かす時間の話だけでなくて、「それ以外の要素」も重要なのです。我々はこの「理」を長年の経験から理解できています。だから洗濯物を乾かすことが出来るのです。