私はこの通り、職人(技術工)です。この職業に誇らしい気持ちをもっていますし、若い人たちにも「素晴らしい仕事ですよ」と説明しています。

 しかしそれとは別に、残念ながら職業的に低く見られていると感じることも多いのです。学校教員の妻からは「被害妄想だ」と言われますが、なんの意味も理由も無く、そんなことを感じるわけはないのです。

◎一番、残念無念に感じるときは、技術料を「高い」と言われたときです。中には、勝手に私の仕事のコスト計算をして、「掛かった時間がこのくらいで、材料費がいくらくらいだから・・・、このくらいの料金が妥当だ」みたいな事を言ってくる人さえもいるのです。
 しかし、そのコスト計算の「時間単価」は、まるで若者のバイト+αくらいの料金で考えていたり、我々が積み上げてきた「技術」の信頼度、確実度、ノウハウなどは全く度外視されているのです。

 私はそんな事を言う人には、「やれるものなら、自分でやってみな」と言い切ります。自分ではできないくせに、勝手に我々職人の収入(時間単価)はこの程度で十分と言っているようなものなのです。

◎上と同じような内容ですが、「やり方をちょっとだけ教えてくれたら、自分でもできる」とか、「道具とか材料の売っているところを教えてくれたら、自分でやります」とか、または「楽器や弓の購入するポイントを教えてくださるのでしたら、佐々木さんの手を煩わせずに、自分で購入してきます」とかを、平然と言う人がいるのです。
 例えば美味しいラーメン店に行って、店主に向かって「レシピを教えてくれたら、自分でも作れる」と言う人がいますか? その「レシピ」こそが重要で、その「レシピ」を販売しているくらいなのですから。

 すなわち、われわれ職人が一生をかけて積み上げてきた「技術」なんて、ラーメン店のレシピよりも低く見られていたりすると感じることも多いのです。そのような人に、「教えることはできません」というと、急に不機嫌になって、「ケチだ」とか「そんな閉鎖的だから職人は・・」みたいな事を言われたこともあります。

◎私には、お客様をバカにしていないが故に、「そこは絶対に曲げられない」という考えもあるのです。しかし、お客様が自分勝手な(浅はかな)考えの基に、押し問答のようになることもあるのです。大体は、その手のお客様は、電話を一方的にかけてきて、電話口で自分の主張をするのです。

 そして最後の捨て台詞は、「どうせ職人さんは頑固なのだから・・、話が通じない」みたいな感じです。一方的に勝手に「職人像」を作っておいて・・、悲しいです。例えば「医者が頑固」とか「弁護士が頑固」とは言わないでしょう。なぜなら、医者や弁護士の主張には、「専門的な理由」が含まれていると多くの人が思っているからです。しかし、残念ながら我々の仕事は低く見られているのです。「頑固」の一言でかたづけられてしまうこともあるのです。

◎「私の子は出来が悪くて、良い大学にいけないから、職人(マイスター)を目指そうかしら」と、本人は謙遜と、私に対しての敬意として言っているつもりなのです。なんて、バカにしているのでしょうか? 職人とか技術工って、大学に行けない人がなるものなの? 逆に、「良い大学」を出た人たちって、何様?

 全ての人と全ての職種(主婦も含めて)の職業があってこそ、国が成り立っています。それに差別とか偏見とか、賃金格差とかがあってはならないのです。なぜならば、それでは日本という国の力が、弱くなってしまうからです。日本の教育界も、もっと様々な職種に興味がもてるような教育を行って欲しいです。

 私も職人への偏見を払拭するために、ホームページやブログに色々な記事を書いているつもりです。

 

 愚痴ばかり書いてきましたが、嬉しい言葉をかけられることもあります。

 例えば、「こんなに素晴らし作業をしてくださって、こんな料金でいいんですか?」など、凄く嬉しいです。または、「佐々木さんを信頼して購入したけれど、本当に良かった」などと言われたときも嬉しいです。

 その言葉だけが、私の原動力です。

 

 

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