先日学生時代の演奏会のベータビデオテープをダビングしていました。その中には自分の演奏姿も映っていました。容姿が今よりも「細い!」というのは別として、二つの感想をもちました。一つは、「あの頃はもの凄く練習していたから、我ながら上手に演奏しているなあ」という自画自賛と、もう一つは「弓の理論が判っていないから、ボウイングの意味を勘違いしている」というものです。

 すなわち、当時の自分自身は、今の私が「そうではないのですよ」と、頻繁に忠告しているようなボウイングをしているのです。学生当時の私自身が、今のような「弓の性能の理論」を考えついていたわけではないのです。

 それでは私が現在の「弓の性能の理論」へとたどり着いた経緯(ヒントになる事柄)をあげますと、3つの段階に分けられます。

 

1. 学生時代の三浦先輩の姿
 私が筑波大学管弦楽団に入部したとき、3年生には現在東フィルのコンサートマスターの三浦先輩がいらして、学生オケの執行部やコンマスを担当していました。当時は、もちろんごく普通の大学生(徳永さんに師事していた時点で普通ではないのかもしれませんが)でした。しかし、他の上手な先輩方とは、弾き方が全く違っていたのです。
 私はヴィオラ初心者ながら、三浦先輩の「弾く姿」が他の人と違っていることに、不思議さと憧れをずっと感じていたのです。それは今の私においても、脳裏にくっきりと焼き付いているような重要な「姿」なのです。しかし、残念なことに(当然でもありますが)、当時の私には、三浦先輩のその「演奏姿(ボウイング)」を追求できるような知識は持ち合わせていませんでした。

 ちなみに、最近になって当時のビデオテープで三浦さんの演奏姿を見ても、やはり「理にかなった、素晴らしい弾き方」なのです。ちなみに、今の私なら「理」が判ります。

 余談になりますが、当時の筑波大オケに「三浦伝説」は山ほどあるのですが、私が印象に残っているのは、合宿の最終日の合奏(曲は悲愴だったかな?)で、コンマスの三浦先輩が前日のコンパ疲れで、コックリコックリ居眠りしながら演奏していたことです。初心者一年生で降り番だった私でさえ、「コンマスが寝ていてどうするの!」と、思ったくらいでした。

 一番印象に残っているのは、日フィルの先生方をよんでの講習会でのことでした。普通の学生ならば、先生が「どこを見て欲しの?」と尋ねられて、ビビりながら「この部分をお願いします」という感じなのです。そして学生らしく、しどろもどろに演奏します。
 ところが三浦先輩は、「どこを見て欲しいの?」と尋ねられて、「どこでもいいですよ」、と。その返答に先生も、一瞬ちょっとびっくりしていました。そして「それじゃここを弾いてみて」と課題部分を出されて、三浦先輩はスラスラと弾き終わりました。そしてその先生の感想は、「まだ若いね」という評価。技術論ではなくて、「若いね」ですよ!

 話が外れましたが、「他の人と違った三浦先輩の姿(ボウイング)」こそが、私の原点でもあります。ただ、そんな「素晴らしボウイング」を行える(すなわち弓も良いはずです)三浦さんですが、数年前にお会いしたときにちょっとだけ弓の重要性の話を振ったのですが、「弓の粘りけ」という表現をしていましたが、的確な科学的な理解はされていないようでした(三浦さんは文系でしたし)。身体が判って実行している演奏家でも、頭で理解しているとは限らないのです(というか、そういう演奏家が殆どのはずです)。
 ちなみに、その三浦先輩の演奏姿は三浦さんの先生の徳永さんのそれに近いです。そして、最近大人気の三浦Jr.の弾き方もまた三浦さんにそっくりです。すなわち、意識的に、または無意識に、弓の性能も含めた「演奏」というものが伝わっているのです。逆の事も言えて、ある(有名)一門の演奏は、皆同じように弓が跳ねていました。そして、演奏の表現力が真っ平らなのです。おそらく、良い弓というものを勘違いしているのでしょう。

 蛇足になりますが、最近では「理想的なボウイングの例」として、元ウィーンフィルコンサートマスターのキュッヒル氏の演奏をあげます。彼の使っている弓も、弓竿のこしが強いらしいです(ある人からの情報)。

 

1. 学生時代の初級者後輩の音
 これも私の中では「ひっかかるもの」でした。私が2年生だったか、3年生だったかの頃ですが、ヴァイオリンに入部したある初級者一年生の事なのです。初級者なので、当然下手なのですが、しかしその一年生の音は素晴らしかったのです。私は「なぜなんだろう?」とずっと考えていました。「楽器(鈴木の安い楽器)がたまたま当たりだったのかな?」とも考えましたが、その楽器を別の一年生が弾いても、そういう音は出ないのです。そこで「性格からくるのかな?」とも考えていたのです。

 

2. 東京ヴァイオリン製作学校時代の、ヴァイオリンの先生の音
 私は大学を中退して、無量塔藏六氏主宰の東京ヴァイオリン製作学校へ入りました。その中で、ヴァイオリン製作の技術はもちろんですが、それ以外にも様々な専門的な知識やヒントと触れあうことができました。
 東京ヴァイオリン製作学校ではヴァイオリンの演奏のレッスンも行うのですが、私は無量塔親方の奥さんのいづみ先生(演奏家)に教わりました。そのいづみ先生の音が、素晴らしいのです。音に芯があって、力強いのです。
 周りの人達は、いづみ先生の性格(ちょっと、キリッとした感じ)から出てくる音なのではないか?という雑談をしたこともありました。私も最初はそうなのかもしれないと思っていたのです。しかし、ヴァイオリン製作学校で勉強し、無量塔親方からより高度な楽器(例えばいづみ先生の楽器とか)のメンテナンスや弓の毛替えを任せてもらえるようになったり、そしていづみ先生からも「この弓で弾いてみて」と、色々な勉強をさせてもらえるようになったのです。

 そこで今までの点と点が、線で繋がりました。「これは弓の性能から出ている音だ」、と。さらに突き詰めると、「弓の性能が、ボウイングのスタイル(演奏姿)を決定づけて、それが音に繋がっている」のだと。

 

3. 工房を開業して、色々な研究をしましました
 ここからは皆さんがご存じの私です。これまでの「考え」の実証実験・研究を行ったり、それを実行(仕入れ、説明、販売、楽器の調整、等々)しています。そして「確信」を得たと言ってもよいです。
 さらにその理論の逆から、「弓が震えてしまう人」の仕組みの説明や、悩みを解決できることも判りました。さらに演奏の表現力という、一見抽象的な内容の具体化まで行えるようになったのです。

 このように私の主張する「弓の性能の理論」とは、昨日今日思いついたものではないのです。私が常日頃から、「不思議だ」と思っている事柄を追求した結果です。

 そして、まだまだ「やりたいこと」、「試したいこと」、「確認したいこと」はたくさん残っています。

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