一昨日、お子さん用(と言っても、もうそこそこの年齢の子ですが)の弓を求めに、親子で工房にお見えになりました。その数日前に一度試奏にいらして、2度目の工房訪問でした。
余り具体的なことはこの場には書けませんが、そのお子さんは将来プロを目指して頑張っている子なのです(正確に書けば、「頑張っている親子」なのです)。ところが、楽器も弓も余りにも質が低すぎます。このことは、ケースを開けた直後からはっきりと、何度も指摘したことなので、この場でも同じ事を書きます。なぜならば、頑張っている子どもが可愛そうだからです(趣味の演奏ならば話は別です)。
おそらく親御さんも、これまでの楽器や弓の質がとても良いものだとは思っていなかったはずです。しかし、「音は極上ではないが、そこはちょっと我慢すれば・・」程度に考えていたはずなのです。それは大きな間違いです。
それでは「練習が原理的に不可能」なのです。もっと言えば、頑張っている子どもの努力を無駄にしてしまうかもしれないのです。これは脅しでも、不安を煽っているわけでも何でもありません。「物理(理屈)」の話です。
何もストラディヴァリを購入すべきである、などとは言っていません。「理にかなった道具」をきちんとした技術のある楽器店(工房)で紹介されるべきなのです(自分で見極めて購入しようとしてはいけません)。
それで話はもどって、その子なのですが、私の工房で弓を購入して、そして「弓の理論」を理解した上で弾くと、それまでとは別人のような素晴らしい演奏が自然にできたのです。聴いていた私も、そして親御さんも「ゾクッ」とするような素晴らしい音でした。決してお世辞ではなく、本当に素晴らしい音でした。
「理にかなった道具」で「理にかなった奏法」をすることにより「理にかなった摩擦力」が自然と生まれ、「理にかなった発音」がされ、「理にかなった音(空気の振動)」が起きて、その理にかなった音を利用して「音楽(練習や演奏)」を追求できるのです。