ここ1~2年、若者言葉の「リア充」という言葉を良く耳にします。どうやら「リアルな充実」の略語のようです。彼等、彼女らがどのような事に使っているワードなのかは詳しくは知りませんが、「リアルな恋愛」とか「リアルに充実した生活」とかいう意味がメインだと思います。

 この「リアル(な充実感)」というキーワード、若者側から出てくるとは思ってもいませんでした。

 現代社会は「効率よく目的を達すること」を目的に動いています。例えば、商品を手早く購入するために通販を利用します。そして宅配便は時間勝負で配達に来ます。また何らかの情報を得るためにパソコンで検索したり、その情報の価値を判断するために、人の「評価」などを参考にしたりします。少し前ならば「マニュアル本」とか「~の歩き方」等を購入しましたが、それさえも省略されるようになりました。
 子どもの教育においては「進学」というものが大きな目標になっています。それを手短に達成させるための塾なども普及しています。
 音楽は、ネットからダウンロードしてスマホで聴くものになりかけています。実態さえも無くなりつつあります。友達との会話も、スマホを通して、短な単語や絵文字だけで行っています。

 

 すなわち、「目的(対象物)への最短距離(または最安値)」が求められているのです。別の言い方をすれば、「ゴール」だけが意識されているのです。

 しかし、これまで私が何度も書いていますように、重要なのは「ゴール」ではなくて「その過程」なのです。
 例えば、「遠足のおにぎり」がなぜ美味しくて、そして何十年経ってもその味が忘れられないのはなぜだと思いますか? それは、そのおにぎりの米や海苔が最上級品だったからというわけではなかったはずです。「友達との和気藹々した楽しさ」、「運動した空腹感」、「山頂(または海辺)の見晴らしの素晴らしさ」、「空気のおいしさ」、「お母さんの想い出」、「多感だった青春期」等々が、「味」をつくり出しているからです。

 昔聴いた音楽が、今聴く音楽よりも素晴らしいのはなぜか? それはまだお金の無い頃に、無理をして都会へ聴きにいったコンサートや、またはお金の無かった頃に無理をして、たくさんの中から選びに選んでようやく購入した「レコード一枚」・・・、この行動こそが音楽をつくっているのです。

 すなわち、結果とは、過程からつくられる(良い意味での)虚像なのです。そしてその過程こそが「リアル」なのです。

 最近若者の間で、昔のレコードやカセットテープが流行っているらしいです。その理由は、「温かみがあって、リアルだから」なのだそうです。物が実際に動いて(レコードが回転したり、テープが巻き取られたり)音が出ている事が新鮮なのです。さらにノイズというものが存在することも、リアルなのです。

 我々は、複雑で慌ただしい生活環境なかで、不要なノイズを排除することを由としてきました。目標としてきました。

 しかし、重要な物は「ノイズ」なのです。「ノイズ」というのは何も雑音という意味だけではありません。「回り道」や「失敗、挫折」であったり、自分と違った価値観を持った人だったり、もっと言えば「嫌なやつ」もそうです。

 毎日が慌ただしく追い回されている我々は、本質を忘れてはいないでしょうか?

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