よく、お客様に「楽器は、購入後にも是非ともその店でお世話になりたいと切望するような、そんな楽器店にて紹介してもらって購入する物なのです」と説明します。試奏し回って購入するものではないのです。

 逆の事も言えて、「購入後の調整を任せられない(技術的魅力、尊敬は感じない)」とか「修理、調整の技術力はさほど高くないが、楽器の品揃えは多い」とかいう店から購入した楽器にまともなものはほとんどありません。

 なぜならきちんとした理由があります。

 大前提となるのは、プロの演奏者も含めて殆どの方は、楽器を知ったつもりになって、いい気になって試奏して自分の好みの楽器を選んでいますが、そんなの「単なる今の自分の好み」の楽器を選んだにすぎません。自分の価値観(殻)を越えているような本当の意味での良い楽器とは言えないのです。

 それならば「良い楽器とは何か?」というと、「構造的に優れた楽器」です。「ラベル」でも、「能書き」でも、「音色(音色というものは自分の価値観の肯定でいくらでも感じ方は変わってきます)」でもなく、単なる技術的な根拠なのです。「構造」なのです。

 すなわち、極めて強い技術的な根拠やこだわりがあって、初めて良い楽器という物を仕入れることが出来ます。そして、それを本当の意味で調整することが出来て、はじめて良い楽器(ラベルの話ではありません)という商品が生まれます。逆の事も言えて、ラベルとか価値とか、雰囲気の能書きばかりを雄弁に語る「心地よい」楽器店が、本当に構造的な根拠を理解できているでしょうか? または、重要視しているでしょうか? さらに、その楽器店の事をあなたが、「購入後にも是非ともお世話になりたいと、さほど思えない」という低レベルでしたら?

 何度でも言います。楽器は自分で選ぶのではなく、「購入後にも、是非とも、そこで末永くお世話になりたい」と切望するするような楽器店にて紹介してもらって、自信を持って購入し、そして購入後にもその楽器店にて末永くお世話になってください。そういう店で紹介してもらった楽器なら、きっと本当の意味で素晴らしい構造の楽器でしょう。

 「楽器」を選ぶのではなく、「人」を選ぶのです。本物は、調子の良いことばかり言いません。常に一貫性が有り、そして「理」がかなっていて、そして自分の耳に痛いこともきちんと指摘する人です。

関連記事: