「良い楽器」の話しとか、または「理にかなった演奏」の話しとかをし始めると、結局は弓の性能の話しになってしまいます。
「また、それか!」と思われているかもしれませんが、そこが核になっていることは事実で、避けては通れないのです。
逆に、この核の部分を的確に説明できない人に、何ができますか?って、言いたいです。出来るとしたら、感覚論だけでしょう。
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