少し前に将棋ソフトの”ポナンザ”が、名人に勝利してニュースになりました。

 この事例は、演奏においても、当てはまるとても興味深い事例なのです。

 コンピュータが登場した初期の頃は、将棋ソフトがプロの棋士に勝つなんて、考えた人は非常識者扱いされたと思います。また、「コンピューターの手なんて幼稚だ」とか「人間の手と比べて美しくない」とか言う人も多かったのです。

 ところが、”ポナンザ”が名人に勝った途端、「これまでの常識にとらわれない美しい手」と評価する人がとても増えたのです。

 何が言いたいのかというと、「美しさとは何か?」という事なのです。

 人間が行おうが、機械が行おうが、理にかなった物事は、「美しい」のです。なぜなら、評価する人は人間だからです。

 

 例えば、将棋盤の向こう側に暗幕が張られていて、そこに名人が座っているのか、またはコンピューターが置かれているのか、どちらでも良いのです。さらに、打ち手に気持ちがこもっていようが、汗をかいていようがいまいが、または年令がどうであれ、機械であれ、どうでも良いのです。その理にかなった手こそが、美しいのです。

 これは演奏にも言えて、演奏家の自己陶酔や、自己満足は、視覚的効果はありますが、本質ではありません。本質とは先の”ポナンザ”にあり、本質があれば、それを受ける側の人間(生物)は美しさを感じるのです。

 これまで何度も書いていることですが、演奏とは
・宇宙の物理の法則の上で
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・理にかなった道具を使い
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・理にかなった考え方の基で
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・理にかなった練習を行い
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・理にかなった物理運動(演奏)を行うことによって
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・理にかなった摩擦力が生まれ
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・理にかなった摩擦力が、理想的な弦の振動を生み出し
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・理想的な弦の振動が、駒のエネルギー変換運動を経て、響板の振動へ変わり
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・響板の振動が、理想的な空気の振動を生み出し
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・その数種類の空気の振動パターンを組み合わせることで、音楽というものを構築し
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・その空気の振動の刺激を受けた、聴衆という名の生物が、ある生理的反応を引き起こし
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・その自分に起きた生理的反応を、自分の持っている「驚きの反応」または「感動の反応」または「芸術論」または「音楽論」という抽象論(虚像)に当てはめるのです。

 すなわち、物理のはなしであり、生物のはなしなのです。

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