ほとんどの方は、一生懸命練習して演奏が上手になったら、良い音が出せるようになると思い込んでいるのです。しかし良い音とは演奏とは別の、もっと原理的な機械論や運動論の話なのです。

 実際には「演奏(練習)」の向こうに「音」があるのではなく、「音」の向こうに「演奏」があります。

 自然界の物理学の法則の下に、「理にかなった道具」で「理にかなった奏法(運動)」が可能になり、「理にかなった奏法」が「理にかなった摩擦力」を生み出します。そしてその「理にかなった摩擦力」が「理にかなった音」に繋がります。そして「理にかなった音」を組み立てることが「理にかなった演奏」につながり、それが「音楽」になります。そしてそれを聴いている第三者が「感情とか芸術性とか」を感じ取るのです。

「理にかなった道具」
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「理にかなった奏法(運動)」
   ↓
「理にかなった摩擦力」
   ↓
「理にかなった音」
   ↓
「理にかなった演奏」
   ↓
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   ↓
第三者が自分に起きた生理現象から「感情とか芸術とか」を構築します。

 余談になりますが、以前テレビのヴァイオリン教室である有名な演奏家が、「一音一音をゆっくり、きちんと弾けない人が速く弾けるわけないわよ」みたいな事を言っていました。当時私は「テンポ」のことだと理解したのですが、最近「音」と「演奏」の違いの事だったということに気付いたのです。

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