昨日はサントリーホールへ、ウィーンフィルのコンサートを聴きに行ってきました。いつもお世話になっている方からチケットを頂いたのです。金額的にも、そして実際に購入しようとしてもなかなか手に入らないチケットだけに、いつも「感謝」の言葉しか出てきません。
演目は、なんとブルックナーの交響曲第5番一曲のみです。途中休憩も、アンコールもいっさいありません。なんて渋いプログラムでしょうか。私は4番「ロマンティック」は演奏したことありますが、5番をまともに聴くのは初めてでした(まあ、ブルックナーはみな同じようなものですが)。
ウィーンフィルの演奏は、素晴らしかったです。私はどうしても弦メインで聴いてしまいますが、次のような事を感じました。ちなみに前回にウィーンフィルを聴いたときにも全く同じような感想をもちましたので、おそらく「本質」なのだと思います。
- 皆、理にかなった奏法をしている
コンサートマスターとアシスタントコンサートマスターを除き、驚くほど皆、身体を動かしたり、くねらしたりの「意味のないパフォーマンス(=自己陶酔奏法)」をしていません。淡々と、しかし理にかなった奏法をしているのです。特にチェロパートは素晴らしかったです。実に地味に、しかし音には拘った演奏(=理にかなっている)をしていました。弓が乗っているのです。そして弓が跳ねていないのです。
ウィーンフィルの音の秘密は、「理にかなっている」ことなのです。 - 音程が合っている
第一楽章の最初の方で、聴き慣れない弦の音がしたのです。最初はコントラバスのパートソロの音だと思ったのですが、バスは演奏していませんでした。そこで「あれっ?この音は?」と探したところ、その音はチェロとヴィオラパートtuttiの音色だったのです。音程があまりにも素晴らしので、一つの別の楽器の音色になっていたのです。 - 音程が完璧にっている効果とは
2.で述べた事と同じ内容なのですが、パート内で音程が完璧に合うと、2つの効果が生まれることを実感しました。
一つは、音程が合っていると、ppの音でも遠くまで音が通ることです。各演奏者の音同士が相殺し合わないので、小さな音でも音が通るのです。これはこれまでにも判っていたことでした。
二つ目は、今回の演奏会で確信した内容です。それは、パート内で音程が完璧に合っていると、楽器の低音が出るという効果です。具体的には、楽器の「箱」の豊かな音を感じることが出来るのです。例えば、通常の1stヴァイオリンのパートソロというと、きらびやかな高音域をイメージすると思います。ところがウィーンフィルの1stヴァイオリンのパートソロの音は、美しい高音域だけでなく、朗々とした豊かな低音も感じることが出来たのです。
同じように、ヴィオラパートの音はまるでチェロパートのように美しく、そしてチェロパートの音はチェロの美しい艶のある音だけでなく、コントラバスのような豊かさも兼ね備えていたのです。これは全て音程の良さが起因することです。 - コントラバスが縦の線を作っている
オケのtuttiの音を冷静に分析すると、そこで縦の線をどの楽器が作っているのかというと、低音なのです。大きな音のtuttiでは、主役の1stヴァイオリンの音さえも音にかき消されてしまいます。
しかし低音のコントラバスの音だけは、音が聞こえるのです。縦の線が消えません。これは鯨の鳴き声が何千キロも離れたところまで通ると言うのに似ているのかもしれません。ただし条件があります。それは「パート内で完璧に音程が合っているコントラバス」という条件付きです。
すなわち、上手なコントラバスパートが、オケの縦線を構築していると言い切っても良いと思います。ある意味、コントラバスが主役と言い切っても、まんざら間違いでもないのです。
このようにウィーンフィルの音色の素晴らしさにはちゃんと理由があります。簡単に言ってしまうのならば、「各人の理の追求(=技術力)」と「団としての理の追求」です。自己陶酔してパフォーマンス演奏している演奏者なんて、本当にいませんでしたよ。
「個人の才能(能力)」、「能力を開花させる科学的な理の追求」、「組織的な理の追求」そして「努力」。これはスポーツ界と同じです。
最後になりますが、このような貴重な勉強の機会をくださった@さんに、感謝!!
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