一昨日、小学生の女の子のお客様(とお母さん)がいらっしゃいました。この女の子、とても演奏が上手で熱心で、さらに頭も良いので、私も大好きなのです。
お母さんも素敵な方で、教育ママ的な熱心さではなくて、お子さんのやりたいことを自分は出しゃばらずに支えようとしている、そんな素直さと素敵さがにじみ出ている素敵な方なのです。私の事もとても信用してくださっているのも、わかるのです。
工房にもとても頻繁に来て調整したり、微修正したりするくらいです。私が、「弦や毛を換えるのはまだ勿体ないのでは?」と、逆のアドバイスをする事さえあるくらいです。
そんな熱心さに、私の方がその子のために、何か教えてあげたくて仕方がないくらいなのです。
実は昨年末、私の工房のお客様の先生主催による発表会があって、私はそれを聴きにいったのですが、彼女もそこで演奏していたのです。とても上手で感心したのですが、一つだけ気になる点があったのです。それは、長い音の、音の最後の響き(音離れ)についてでした。
今回は、工房に来たその子に、その「音離れ」について説明したのです。本当ならば、この内容は高度な事なので、小学生には早すぎる内容です。しかし、その子は賢いので、私は理解できると(混乱はしない)と思って説明しました。
私は、書き初めの習字で例えてみました。
ヴァイオリンの演奏って、「習字」と全く一緒なのです。「一」という字を書くときに、書き始めだけでなく、その途中も、筆を離す最後に至るまで、意識と行動の全てが文字に現れるのです。これはギターやピアノとは全く異なる発音原理です。
事実、世の中に書道家がたくさんいて、彼(彼女)等に「一」を書かせたとしたら、全てが異なっているはずなのです。ヴァイオリンの音も全く一緒です。それがヴァイオリンの魅力であり、難しさでもあるのです。
さて話を戻して、今回のその女の子の音は、「一」の最後の処理の部分の話です。本当に一瞬の短い時間の話なのですが、音がかすれているか、または音の伸ばしが短かったのです。だから一小節に「一」を二つ書いたとしたら、「一 一」となるのですが、その文字の間の空白感が際立ってしまっていたのです。
おそらく、練習室で弾く場合には、部屋が狭いので、その音離れのかすれの部分(またはほんの僅かに音が短いため)が近距離の反響音で聞こえるのです。すなわち、「一」と「一」の間が連続して聞こえるのです。しかし、広いホールだとそうは聞こえないのです。
習字で例えるところの擦れの部分が、消えて見えるのです。
だからと言って、何も文字の最後の「止め」を大げさにとか、文字の最後で「はね」をとかを言っているのではありません。ほんの僅かな「擦れ(または音が短い)」事についてです。
何が言いたいのかというと、練習室での演奏の音の対象があくまでも自分(または先生)であるのに対して、発表会での音の対象は、遠くに座っている観客であるという違いについてなのです。
このお子さんは賢いので、ニコニコしながら直ぐに理解していました。
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