私の工房では、まずは丁寧に、理論的に「弓の性能」の説明をしてから、それから実際の弓の試奏に入ります。

 「脳が理解できいて、はじめて見える」のです。

 そのような「弓の性能の理論」の説明を受けた後に、実際に私がお勧めする真の性能の良い弓を弾くと、多くのお客様は「なるほど!」と驚かれて、納得してくださって購入してくださるのです。

 そして、早い人だと1時間後には、遅い人でも2ヶ月後には、「今までの弓には戻れません」との感想を言われるのです。それは、今までの弓では、わざわざ無理をして弓のコントロールをしていたからです。良い弓を使って初めてそれ(無理な運動をしていたという事)を実感できるわけです。

 

 これが今までのパターンでした。ところが昨日、とても興味深い体験をしました。

 実は数日前に、とても演奏が上手な大学生が弓の試奏にいらっしゃいました。コンミスもしている、とても上手な演奏レベルの娘でした。

 その娘に今まで通りの説明を丁寧にして、私のお勧めする弓(ご予算も考慮の上での)で試奏してもらったのです。そうすると、今までとはまるで違った音を出す事が出来ました。

 まあ、普通ならばこれで「買い!」なのですが、おそらく性格的に慎重なのでしょう、「他の店も廻ってから、納得できる弓を購入したいと思います」とのことで、一旦、「さようなら」でした。
 こういう事も、珍しくはないのです。私自身、強引に売りつけたくはありませんので。

 さて昨日、その方からまた電話があって、「他の楽器店を廻ったのですが、やはり佐々木さんのところで」とのお話があり、また工房にいらっしゃいました。こういう事も、良くある話です。

 ところが、ここからが私の初経験でした。ある意味、興味深い内容でした。

 それは、その大学生の女の子が、また、工房で前回お勧めしていた弓を、自分の弓と取っ替え引っ替え交換しながら、弾き比べをし始めたのです。

 自分の弓を弾いてから、直ぐに私のお勧めする弓を弾いて、その繰り返しを何度も何度も。

 私からすると、それらの性能差は明らかなのです。その大学生のお客様が弾いても、明かな結果の差が出ていたのです。

 ところが、決めきれずに、自分の弓と何度も弾き比べる行動を行うことによって、「演奏運動」が自分の弓の演奏運動に引っ張られてしまう悪影響を及ぼしていたのです。だから、交換しながら弾き比べるほどに、私のお勧めする良い弓の本当の意味が判らなくなってしまったのです。ようするに、今までの自分の弓の弾き方、感じ方に戻ってしまったのです。

 それでまた「検討します」とのことになりました(さすがに、三度目の「試奏」はお断りするつもりですが)。

 本来ならば、正しい演奏運動を行うことは、これまで性能の低い弓(すなわち自分の所有の弓)を突き放す行為(親離れのような?)なのです。ところが、それができないと、今までの価値観を捨てきれずに、あらたな性能の世界観(すなわち私がお勧めしている弓の良さ)が判らなくなってしまうのです。

 人間の「理解」とはこのように奥が深く、しかしその逆の事も言えて、明解な論理的な説明もできるのです。

補足:今回私が書きたかった内容は、今回のお客様が購入しなかったという事を批判したわけではありません。その点は誤解の無いようお願いいたします。
 それでは何を言いたかったかというと、「自分の弓と、取っ替え引っ替え弾き比べをしていると、せっかく説明を受けて見えかけた本質を見失ってしまう」という事なのです。

補足:私の場合ですが、迷った場合には購入して使ってみてから、「判断」します。なぜなら、例え仮に「判断の間違え」をしたとしても、人生において「失敗」はないからです。人生においてもしも仮に「失敗」があるとするならば、それは、新たな行動を起こさないことです。

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